小説 読書漫遊記 1万冊読破漫遊記 一度は読まないと人生の永遠の損ー




   
小説 読書漫遊記 ー読書により戦いゆく人の話 一度は読まないと人生の永遠の損ー

第一章戦う
人間は読書により育つと人は言う。
何故なら人間は人間でしか分かり合えない。人間と人間
でしか城を築けない。よって先人の残したものに
確かな意味があるでしょう。
作者はギリシアに生れ,アテネに学び,二十三人のギリシア人を選び一人ずつローマ人を配す,道徳的伝記
であり,歪められた形での本書である

第2章言葉とは何か
言葉には偉大な力がある。
石川啄木 
一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)
そこには自然な表現がにじみ出ている。
何度読んでもよい

第3章人は教育によって育てられる エミール
ルソーの自由な社会の制度論に対し、エミールは自由な社会での人間を育てる。
真に自由な人間を育てる解説書です。
自然は教育である有用性が人を育てる。

第4章人生論 (角川文庫) トルストイ
人生とは何か。人はどう生きるべきか
他人のために生き、自身よりも他の存在を愛すことが幸福を授かる。幸福の可能なのは、存在が自分よりも他
を愛するようになる時じぶんの存在があるという。

第5章兄弟とは
兄弟間の深い葛藤を描く

第6章戦争と平和

反戦論をのべる。

第7章永遠の都


永遠の都を築こうと皆、実行するがやがて滅ぶ。なぜか、慢心だ。
今もそうだと思うが、善と悪のバランス、によってすべては成り立つ。
与党と野党みたいなものだろうか。

第8章ナポレオン
ヨーロッパを統一し、学校を建てる、英雄です

第9章三国史

劉備玄徳の人徳、天才軍師孔明、覇王曹操らの英傑伝
は4回ぐらい読みました

第10章ああ無情

ジャンバルジャンの数奇な運命、情けと裏切りと政治の困惑した
人生を描いた大作

第11章人生ノート


第12章史記

乱世に生きる豪傑、人徳者の人間模様が描かれている
楽園を失う天使のゆくえは

第十四章欺かざる記
国木田独歩の日記、明治の二大日記といわれた。精神史である。

第15章自然と人生

宇宙生命との対話、宇宙の富、山林に自由存す

第16章ヘンダーリン ヒュペーリオン

人類の理想に寄せる賛歌を読む

第十七章勝海舟

海舟は日清戦争を非難し和平を提言したとある

第18章西郷南洲遺訓

西郷は若き人材を死においあってしまった

第19章代表的日本人

国家権力から自由と独立の側面で意義を見出そうとする。

第20章樗牛全集

天才的詩人の生命、書いて書いて書きまくった内村鑑三、森鴎外に果敢に論戦を挑む。

第21章隠者の夕暮れ、シュタンッだより

ペスタロッチは自ら貧民となり孤児院をたて、「人間の本質をなすものを高める」
ことが教育の本質と説く

第22章モンテクリスト伯

政府の策にディマは陥れられ復讐巧みに行う。人間が人間を罰してよいか
否、違う

第23章ロビンソン・クルーソー

運命とは何か。宗教こそ人間の幸不幸を決める根本原理である

第24章スカラムーシュ

フランス大革命は無名の庶民がおこした。ひとりの雄じゃによって

第25章リットン ボンベイ最後の日
人間の悲しい性、運命を考えさせる

第26章人間の未来

自由、経済に対する考え方、社会主義の経緯について解説後、資本主義の未来について語る。

第27章幸福論


ラッセルの個人主義と楽観主義が生きてしまっているという現実的に対する
幸福感。

第28章道は開ける

人間の弱さ見つめ、絶望の底から体験談より。忍耐の大切さに気付かされる。

第29章人を動かす

人の心を動かす心構えがある。人を感動させること、人間に対する深い理解と、
忍耐が必要である

第30章世論

情報が不能に陥ってしまい、どのように発生するのかを考える書。

第31章生命と無生物との間

デカルトの生命論、遺伝子工学、現象を紹介しながら、生物における部品の交換不可能性に迫り遺伝子の脆さを知る。生命の神秘教えられる。

第32章知性の限界

 科学と宗教でどこを知るべきかの思索の転換が行われつつある。

第33章科学、哲学、信仰


第34章職業としての政治


第35章一葉日記

明治の二大日記である

第36章吉田松陰伝

吉田 松陰は、日本武士思想家教育者山鹿流兵学師範。明治維新の精神的指導者。私塾「松下村塾」で、明治維新での若者に思想的影響を与えた。

第37章ゲーテ ファウスト
悪魔と人と天使の関係を語り、人間の弱さを暴く

第38章アンナカレニナ

不倫という掟をやぶる行為に走ったアンナは不幸な結末を、自身の気持ちに誠実に生きたアンナを同じ罪人である人間が裁くことはできない。人の生きるべき道が示されている

第39章杜甫 春望

杜甫、盛唐の詩人。唐代最高の詩人。高適と交わり、詩を賦したりしている。役人として職に就いたり、解かれたり、左遷されたり、戦争に巻き込まれたりもした。765年厳武が死に、蜀の地が乱れた為、貧と病に苦しみながら流浪し、770年不遇のうちに生涯を終えた。 

第40章読書と人生 三木清


如何に読書すべきか参考になった。 毎日、一定の時間に三十分にしても読書すること。 読書法を発明することが大切である。 そのためにはまず、多読すること。みな濫読から始めている。何等の方向もなく目的もない博読は濫読にほかならぬ。みな濫読から始めている。 何に多く読んでも何も読まなかったに等しい。新刊書を漁ることは避けなくてはならないと言うが、時代の感覚に触れるために、接しなければならぬ。 古典を読むことが大切であると同様、できるだけ原書を読んだほうがよい。ひとは何よりも特に古典の中から自分に適したものを発見するように 努力しなければならない。正しく読むために、緩やかに繰り返して読まなければならない。それを実行することによってのみ、発見的な読書をすることができる。自分で絶えず考えながら読むようにしなければならぬとある。

第41章若きウエルテルの悩み

社会現象を巻き起こした、現在も世界中で広く読まれている。

第42章ダーウイン 種の起源
ダーウィンは、自然選択によって、生物は環境適応するように変化、が分岐し過程を生存競争を用いて説明した。生物がもつ性質は個体間に違いがあり、親から子に伝えられ、環境収容力が繁殖力よりも小さいため一部しか生存できない。当時は DNA や遺伝の仕組みがなく機械論的なものだとした。現在も科学的に認められたモデルである。現在でも進化論を否定する創造科学インテリジェントが反進化論団体で主張されている。
第43章ソクラテスの弁明
ソクラテスの哲学者の人生と共に、無知の知についての言及が成される。自分が知っていること以上のことを知っていると思い込む状態に陥っている者と対比的に、よく知りもしないことを過信しない者として言及される。


第44章竹沢先生と云ふ人
長与善郎長編小説。日本近代医学の父長与専斎を偲びつつ,おりにふれての人生観世界観を,自己の分身の竹沢先に語らせるという小説。西洋と東洋の融合の姿勢で思想が述べられている。























第45章プレハノフ 我等の対立

ロシアのマルクス主義理論家創立者の一人。秘密組織「土地と自由」の指導者の一人となった。フランスとドイツの労働運動を知り、1883年秋スイスでロシア最初のマルクス主義組織「労働解放団」を創設、マルクス主義の普及活動を組織した。1905年の革命に際しては自由主義者との同盟を要求し、12月の武装蜂起を非難し、第一次世界大戦に際しては、戦争協力の立場をとった。

第46章幸田露伴 頼朝
日本小説家。別号に蝸牛庵(かぎゅうあん)、江戸下谷生れ。第1回文化勲章受章。娘の幸田文随筆家・小説家。高木卓の伯父。
五重塔運命などの文語体作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに時代を築いた。漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝などの古典研究などを残した。

第47章子母沢寛 勝海舟
子母沢寛の最長の小説。  GHQには 「江戸城の明け渡しはGHQの進駐を分かりやすく説明したもの」 と説得した。海舟の青年期から明治元年に45歳で駿府に移るまでのことが書かれ、 海舟と彼の父小吉のことはもちろん、幕末維新の立役者、新撰組、がぞくぞくと登場する。

第48章子母沢寛 父小鷹
若くして撃剣を好み、奥技に達するも、お役入りならず。無学ながら、人となりおおらか。強きを挫き、弱きを助け。この間、嫡子麟太郎は、剣の修行のかたわら蘭学を学ぶ。小林隼太、小野兼吉らは、小吉が晩年に書き残したキャラクターを作者がたくみに脚色したもので、父子妻、隣近所の人々との心温まる交流を描いたさわやかな小説です。
第49章言志四録




佐藤一斎という人の42歳から80歳までの語録で1133条からなる人生訓のような本です。
勝海舟や坂本竜馬、吉田松陰などの師匠に当り、佐久間象山などを輩出した、佐藤一斎門下は、西郷隆盛、勝海舟、河井継之助など、幕末に時代の志士たちがいます。西郷隆盛が言志四録から101項目を選び出し座右の銘としていた。内容は数々の教訓で、学問、精神、志、健康が書かれていて、時代を変革する思想は十分通用するものです。「少くして学べば 壮にして為すあり壮にして学べば 老いて衰えず老いて学べば 死して朽ちず」『言志晩録』第六十条

第50章フィヒテ ドイツ国民に告ぐ


一人の哲人が国民のすべてに訴えることは、そうないことである。フィヒテは哲人である。カントの推奨であらゆる啓示の批判私論刊して評判をとり、講演は14回にわたった。ドイツ国民に告ぐである。教育論だった。この講演は、人々に勇気と希望を与え、時を乗り越えるようにすることで、全ドイツの国民に告げている。ドイツ人の、ドイツ人による、ドイツ人のための教育である。ドイツ国民に告ぐで、ここまで教育の必要性を徹底的に追求したこと。日本人のための教育が沸騰していてよいように思われる。
第51章九十三年
1793年は、フランス王が処刑され、恐怖政治が始まった年である。王党派による反革命が自由と平等という革命の大義のもとで3人の人物を通して理想と現実で翻弄される、人間愛とは何かを、ユゴーは総括的にした作品である。
第52章尾崎史郎 人生劇場


尾崎士郎の自伝的長編小説。青春篇が刊行されるや、川端康成にこの一篇は尾崎氏が如何に立派に生きて来たか明かにし、激賞された。情熱的で野放図な学生たちを大正初期を時代背景とした青春小説である。義理と人情といった日本的心情があふれた小説。

第53章新平家物語


盛者必衰の運命をたどった平家の政権獲得から栄華、そして壇ノ浦で源氏 に敗れるまでを描く

第54章新十八史略


最も古い刊行時期は1321年 - 1323年である。の陳殷によって帝王世紀や朱子学の書を元に加えられ、現在と同じ7巻本となった。明の中期、劉剡が三国時代の正統王朝をからとするなどの改変、陳殷は中国の歴史を簡単に理解するために正史の中から記述を抜き出して野史も取り入れられている。宋史が完成しなかったため関係者の保有するに頼るところがあった。
その内容・性格は、教科書的なものであり、抄本である。現代中国の歴史書としては、宋代までの歴史の抄本という事で価値は失われている。

第55章社会契約論


ルソーは、自然状態相互的孤立の状態と称し各個人は独立した存在として自己の欲求を充足させるために行動し、個々人の約束は社会契約の概念として把握。社会契約の枠組み国家が正当化されるには、人間の自由な意思が社会契約の中で、構成員が各人の身体と財産を保護するには、財産や身体の全てを共同体に譲渡することを論じる。ルソーはイギリス議会を批判している。人民全員が参政することは非現実的で、非効率である。そこで人民に法を与える立法者の役割が導入されることで成立するととく。

第56章情熱の書



第57章ゲーテとシラー

シラーは現代に至る美学理論としても知られる。極めて理知的な視点で、美の本質を捉え当時に一流の文芸家の特徴であり、一方で感情的であり、極めて理論的なのである。ゲーテもまた色彩論、生態論、地質学などを著す。
第58章トルストイ 懺悔
生に酔いしれている間だけ、われわれは生きることができるのだ。が、そうした陶酔から醒めると同時にことごとく欺瞞であり、愚劣な迷い、認めないわけには行かないのだ。人生には面白いことやおかしいことなど何もないのだ。ただもう残酷で愚劣なだけなのである。

第59章トルストイ 日記
大学時代から、膨大な日記を書き続けました。
冒頭は次のような言葉でした。
「もし、自分の人生の目的を、見出せなかったら、ぼくは人間のうちでもっとも
 不幸な男であろう。今こそぼくの生活は、ことごとく、この唯一の目的の
 達成のための不断の努力と化するであろう」
それにしても、人生の目的
見いだせないと、もっとも不幸な人間になってしまうのでしょうか?
19世紀を代表する小説家のひとりである。また時間論に関し、「過去も未来も存在せず、
あるのは現在と言う瞬間だけだ」という言葉を残した。


第60章フランシスベーコン 随想録
知識は力なりという言葉とともに知られる。独力では果たせなかったものの学問の壮大な体系化を構想していた。体系化の構想はフランス百科全書引き継がれる。

第61章ワイルド 獄中記


罪はにくむべき者である、悔い改められたる罪ほど世に美しきものもない。オスカル・ワイルドの『獄中記』  の中の一節を想い起さざるおえない。ワイルドは罪の人であった、故に能く罪の本質を知った。悲哀はありとあらゆる創造物の中で、もっとも感受性の鋭いものである。悲哀に匹敵する真理はない。悲哀から数々の世界は作られた。驚くほどの洞察に満ちた文を読みつながっているのである。

第62章小林多喜二 独房
監獄より愛をこめてさて囚人いかに生くべきか.大弾圧下の共産党員は,出獄後も工場へ隠処へ街頭へ─苛烈な日々は危険が一杯.闘う多喜二の東京小説.

第63章ホイットマン詩集

「自分自身が最良の手本になればいい。
そういう手本になる人物が一人でもいれば
その集団は千年輝くものになる。」アメリカ詩人、奴隷独立運動家

第64章寺田虎彦全集

寺田寅彦の随筆は文学と科学の枠を超え、対極にある文学的なものであっても、彼の慈愛に満ちた視線が注がれ、寺田が20代から50代後半までに書いた随筆から、優れたものが収められている。

第65章織田信長
勇敢な将、明晰な頭脳、幾度も歴史の本を読もう
大事は史観なり

第66章皇女和の宮

皇妹という身分に生まれたばかりに悲恋の生涯の和宮、その恋人を奪わなければならなかった侍女夕秀・二人の女にただ一つの愛を抱き続ける帥の宮この三人の愛憎劇

第67章価値論 牧口常三郎

宗教の価値判定は生活と無関係であるわけがない。実際に自分が信仰すればその教えの是非・善悪がただちに生活の上に現れてくるのである。 
 目的観の確立
 何事をなすにも目的を確立してかからなければ小目的であって大目的がないからすぐ行き詰まってしまう。目的観の確立にはまず幸福の内容をはっきりつかまなければならない。人間は誰でも幸福を求めている。しかして幸福の内容は価値であり、美と利と善であってそれ以外にはない。ゆえに最高最上の美と利と善を獲得するのが人生最大の目的である。このように最大の価値を獲得するために自己の生命の実態を知り、生命の力を知る必要がある。このために正しい宗教が無なくて真の幸福は考えられないのである。

第68章御義口伝 日蓮大聖人

日興記とも称す。日蓮の高弟日興が日蓮の法華経の講義を筆録したとある

第69章人間地理学 牧口常三郎

本書は、1903年(明治36年)に、32歳だった牧口常三郎氏が、新しい地理学の書として発刊、川の長さや山の高さを測って記録することに重点を置いていた地理学を、人間生活とその周囲に存在する地理的条件とを観察して、それらの間に存在する関係性を発見しようと考えました。
海辺に住む人と山の中に住む人では、気質が違うことは気がつきますが、環境が人間に及ぼす影響を、体系的に整理した発想力と行動力は、驚嘆に値すると思います。太陽や月が与える影響、島・半島・山岳・平原・高原などが与える影響文明といった事について論じられています。

第70章後藤新平論
後藤新平が、鉄道院総裁として国鉄の発展の基礎を築き、外交指導者としては、ほとんど忘れられている。しかし、当時にあっては矛盾と飛躍に満ちた言動ながら、後藤新平の足跡を辿る評伝である。
実践の闘志、力あり、批判、論ずる点あり

第71章日本経済史


近世の経済学的遺産が工業化に果たした役割を重視しながらトピックを追加したほか、アベノミクス等の経済動向についても増補・改稿。太閤検地、幕藩経済、近代産業社会化、そして高度成長と経済の成熟。17世紀から現代へ、日本経済社会の読み方。

第72章開目抄 日蓮大聖人



日蓮大聖人の代表的著作。1272年撰。文永八年の法難で,日蓮とその門弟が弾圧され,転向者が続出,踏みとどまった者や日蓮自身も,法華経の信奉実践者がなぜかくも受難するのかとの疑惑を抱いた。佐渡の日蓮の緊急かつ重要な課題は,この疑惑をとくことであった。この受難の弁証,意味づけのために書かれたのが本書で,日蓮は,過去の罪業の報いを現世の受難によって消去し,転重軽受よりこれを解決,法華経の行者の自覚と新たな弘教への決意を表明した。

第73章立正安国論 日蓮大聖人

大聖人が鎌倉での弘教を開始された当時、異常気象や大地震などの天変地異が相次ぎ、大飢饉・火災・疫病などが続発していました。
大聖人は、この地震を機に、人々の不幸の根本原因を明らかにし、それを根絶する道を世に示すため、「立正安国論」を著された。


第74章顕仏未来記

大聖人の御精神を受け継ぎ、御書に仰せの通りに妙法を弘通し、広宣流布を進めてきた和合僧)が創価学会です。大聖人滅後の700年間、創価学会が出現するまで、誰も妙法を弘めることはできませんでした。創価学会が、「閻浮提に広宣流布」との経文の通り、事実の上で日本はもとより、世界中に妙法を弘めてきたのです。釈尊と大聖人の未来記を実現したのが創価学会にほかならないのです。池田先生は、『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻に次のように記されています。戸田先生は「広宣流布のさきがけをしようではないか」と叫ばれ、「創価学会は宗教界の王者である」と宣言されました。私は、私とともに戦ってきてくださった皆様とともに、「我らこそ御本仏の未来記の主人公なり」と、誇り高く宣言したい。

第75章人間革命



「人間革命」とは、自分自身の生命や境涯をよりよく変革し、人間として成長・向上していくことをいいます。
戸田先生が理念として示し、池田先生が信仰の指標として展開しました。
人間革命とは、現在の自分自身とかけ離れた特別な存在になることでもなければ、画一的な人格を目指すことでもありません。万人の生命に等しく内在する、智慧と慈悲と勇気に満ちた仏の生命を最大に発揮することで、あらゆる困難や苦悩を乗り越えていく生き方です。
また、日蓮大聖人は、「冬は必ず春となる」「大悪を(起)これば大善きたる」などと、人生において直面するいかなる困難をも前向きにとらえ前進のバネとしていく変革の生き方を説いています。この哲学を根本に、会員は人間革命の実践に日々取り組んでいます。

第76章小説 日蓮大聖人

日蓮と幕府との関わりや歴史的時代背景が、よく分かり幕府による迫害は非道だが、
弟子による裏切りは胸が痛む。他宗の策謀による迫害などは歴史的事実として読めた。
とにかくこの小説は歴史小説として最大に讃嘆されるべき一書であると言える。

第77章東西英雄論


第78章ルソー 民約論
ルソーは人間の本性を、自由意思を持つものとして各個人は独立した存在として自己の欲求を充足させるために行動し各個人同士で協力関係を求める。人の約束は社会契約の概念として国家が正当化されるためには、人間の自由な意思が社会契約の中で保障され、本書では個人のための国家の在り方を論じる

第79章鴻門の会

現在の中国のことわざに「項荘舞剣、意在沛公(項荘の舞剣、意は沛公にあり)」というものがあり「もっともらしい名目を掲げているが、真意は他にある」という意味である。

第80章四面楚歌

四面楚歌 楚の項羽が四面を囲む漢軍の中に楚の歌を聞き、楚は既に漢にくだったのかとなげいたという故事からまわりが敵や反対者ばかりで、味方のないこと。


第81章虞美人草 夏目漱石

藤尾に象徴される近代文明を批判した作品で藤尾の人気は連載当時から高く、虞美人草ドレスという商品まで現れる社会現象となった。


第82章百六箇抄
第83章本因妙抄


第84章観心本尊抄


第85章六巻抄


第86章創価教育体系

牧口常三郎先生は、明治時代から教育の現場に根ざした研究に精励されました。牧口先生は、自然と人間生活の原理・原則を究明した『人生地理学』、教育記録をもとに、子どもの人間形成を主眼においた『創価教育学体系』を著しました。

第87章隊長ブーリバ

本作は、偉大な詩人アレクサンドル・プーシキンの弟子、ニコライ・ゴーゴリのの作品です。
  ゴーゴリの描写は見事で、黄色い太陽の風景によくマッチして、読者に印象を与えます。
 ブーリバの二人の息子の生き方の違いに思索を提供してくれる名作です。
 まさに名作古典です。

第88章魏徴 述懐

有名な漢詩の一節 人生意気感 功名誰復論
人生意気に感ず、功名誰か復た論ぜん
人生は意気に感じて立つもので、功名を論ずべきものでない。唐が興る時に学問を投じて戦線に向かう魏徴が決意を述べたもの。

第89章四条金吾伝御返事

日蓮大聖人は、四条金吾や多くの弟子たちに御手紙を与えられた。その数は、御書に収録されているものだけでも、実に膨大であります。広宣流布に生きる一人ひとりの弟子に対して、”何があろうが、断じて一生成仏の大道を歩み抜いてほしい。そのために、最大の激励をせねばならない”という、御本仏の大慈大悲の発露といえます。一人でいたのでは、信心の触発や同志の激励がないため、大成長を遂げることも、試練を乗り越えていくことも極めて難しい。


第90章阿部次郎 三太郎の日記

思考の手本や体力を身につけたよう。人生にまじめな若者は多いからか、書き手はもっともらしい根拠をつけた方がいい。もらしい言説に納得してはならない。三太郎の日記は悩みにまず自ら考えるとして読み継がれてきた。価値と役割は変わる事は無い。日記は第一、第二、第三に分かれる。第一で多方面にわたる勉強をしたけれども知識が増えるばかり、自分というものがないことを努力する。第二は、苦心の末、救い出すのにはしたが、貧しさに悩み努力する。第三は社会的発動。構成しようと外部へ積極的に進み読みながら自己について考える事であろう。

第91章陶淵明 帰去来

中国の詩人陶淵明の散文作品。官位を捨て故郷の田園に帰る心境を述べる。わが子に迎えられた喜び,世俗への絶縁宣言をこめた田園生活の楽しさを自然の摂理のままに終りの日まで生の道を歩もうという気持をうたいあげている。文学の最高傑作の一つとして,後世に与えた影響は大きい。

第92章小林秀雄 批評家失格

現代日本のネット上の言について述べているようで、日本的な他者を軽蔑してみせることで自分がそうではないと本人には何も内容などないのだ。世間体で自分が馬鹿にされたくないだけ。えらそうに一見理性的に批判しているようで、実は明晰な理性の光など全く存在しない。世間知が薄汚く空気のように漂っているだけ。日本的精神風土は、本当にやりきれない。巨大掲示板の欠点も、あそこに表面上みてとれる世間智だけによって成り立つ精神の問題である。

第93章小林秀雄 罪と罰について

たとえば、対談で歴史の認識は「合理的な道ではない。端的に、美的な道だ」と、戦前や戦中と同じような発言をした小林秀雄は、一方でスリーマイル島での原発事故には全く言及していないのである。 このような小林秀雄の歴史認識や原子力の認識に『罪と罰』における理由ではないかと考えている。

第94章ホイットマン詩集

普遍宗教的な考えに共鳴する人には、納得できる部分は多いだろう。スウェーデンボルグの影響、リンカーンの死への哀悼といったように、精神的変遷をたどることができる。
最大の詩人は、魂を知っている(p5)
魂の流出は、幸福である(p84)
わたしたちは、ここに立ち止まってはいけない。私たちは水路もない荒海を航行しよう(p89)
第95章川英治 宮本武蔵

関が原の戦いで敗れた東軍につき、武者修行の旅に出る。色々な人との出会いにより、自らが発展していく過程は、武蔵の根本にあるものは、常に自分だ。自分で考える姿勢こそが、大切である。
本気で戦う姿、大事である

第96章ホイットマン 草の葉

歴史的かな遣いや昔の漢字が多く、読むのに苦労、素晴らしさは伝わってきましたが、現代風の
翻訳本を入手したいと思うようになり、自分の知的能力の低さを感じるものです

第97章カント 純粋理性批判

純粋理性批判は、理性認識の能力を法廷において自身が審理し批判する構造を持っている、哲学に先立ち、理性の妥当な使用の範囲を定める哲学の予備であるとカントは言う。カントは、理性 が独自の原理 に従って事物 を認識すると考える。原理は内在的なもので、原則を逸脱して能力を行使することもできない。経験は経験以上のことを知りえず経験のアプリオリな制約である、超越論的な認識形式に求め、認識理性 の原理を明らかにする。
第98章新井白石 西洋紀聞

西洋紀聞は、新井白石が書いた西洋の研究書イタリア人ジョバンニ・シドッチを審問した白石が、内容をまとめたもの。諸外国の歴史・地理・風俗の大意と、白石の批判などが記されている。鎖国下のため公にされず、秘かに写本によって伝えられたが、世界認識に大いに役立った。



第99章新井白石 折たく柴の記
 新井白石の著作代表作折りたく柴の記。本書は、現代語訳に翻訳してあり読み進めることができます。家系の歴史、本人の略歴や、政策の解説、騒がせた事件などが書かれていて、資料とも言えるし、武家社会の様子を見ることが出来る。当時がいかに平和な社会であったのかも連想させられ世襲の大名の能力が低いことが原因が今の国会議員と官僚の関係のようである

第101章アンデルセン 小説 即興詩人

即興詩人は、デンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの出世作となった長編小説で、イタリアを舞台とした恋愛小説である。


第102章上田敏 海潮音

大切な詩集。文づかひが豊かなきれいなヨーロッパの名詩選。上田敏はこの本で偉業を成し遂げた。
「海のあなたの」海のあなたの 遥けき国へ いつも夢路の波枕、波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、海のあなたの遥けき国へ。
―テオドル・オオバネル

第103章田敏 詩聖ダンテ

神曲は、1314世紀にかけてのイタリア詩人政治家ダンテの代表作である。
地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成り長編叙事詩であり均整のとれた構成から、世界文学史にも重きをなし当時の作品としては珍しくトスカーナ方言で書かれている。

第104章エマーソン 自然論
アメリカの思想家 エマソンの論文。自然と人間の精神を論じ,自然は精神の象徴,事物と人間の思想の間には対応関係がある,直観による真理の把握格調高い詩的な文を述べている。
第105章エマーソン 英雄論

第106章エマーソン エッセーズ

第107章大佛次郎 パリ燃ゆ
本書は民衆の蜂起によって誕生したパリ・コミューンを題材とした。
世界で最初の労働者階級による民主国家と評されるパリ・コミューンは、社会主義・共産主義の運動にも影響を与えたが、著者は『パナマ事件』に連載後の完成後、私のフランス第三共和制について書きたい仕事は巴里コンミュンだけが残ったと記した。


第108章尾崎史郎 篝火

第109章カーライル 衣装哲学

第110章カーライル フランス革命史
カーライルにとつて、フランス革命は悲劇であつた。破壞行爲が行はれたからではない。英雄がをらず、宇宙の大道に通ずる秩序がなかった、カーライルの反時代的な思想はといふこれまで普遍的なものとされて理念の再檢討を促した。



第111章勝海舟 海軍歴史
幕臣として咸臨丸で渡米、海軍兵学校を建てた日本海軍の親、坂本龍馬を育てた男。幕府の代表として会談し成功江戸を救った男。義に厚い男。

第112章川端康成 雪国
島村は、雪深い温泉町で芸者駒子と出会う。冷たいほどにすんだ島村の心に映される情熱を、美しく描く。ノーベル賞作家の美質を見せた名作。

第113章カント 実践理性批判
実践理性批判はカントが純粋実践理性は、経験からは独立して意志を規定する普遍的な、原理の表明である。思弁的理性は、実践理性の理念が感情に与える理由を示し、義務と責任とは道徳的関係に対して快楽義務とは峻別され、自然から独立した人格で、純粋実践理性によって感性知性に同時に属し、人間は自由である。永世の前提が無限の進歩を与え、道徳論を幸福論、宗教だけがわれわれに与えるを促進が必要となる。実践理性はこれらの概念を前提し法則を立てる。気まぐれは道徳的な価値を与えず、善は実現され得ない。人格性においては、道徳律は動物性に依存することのない生活を示すとある。

第114章カント 道徳哲学原論

道徳形而上学原論は、現在出版されているカントの著作の中でも最も読みやすいものと言える。
三大批判書のうちの一つ『実践理性批判』で提示されていることをまとめたものである。汝の意志の格律がつねに普遍的立法の原理として妥当しえるように行為せよと述べる。
カント倫理学の有名な概念である。
「わが上なる星空とわが内なる道徳律に対して畏敬の念を抱け」と言う。
この言葉をどう捉えるべきなのか。色心不二、依正不二に近い、卓見である

第115章キェルケゴール 哲学断片
 哲学的断片と単独者という概念はデンマークの哲学者キルケゴールは、信仰概念ともかかわってくる著作です。ソクラテスの立場では、学ぶものは真理を潜在的に持っていると仮定。歴史が進むにつれ、絶対者に近づくというヘーゲル流の哲学の立場を、自分の力ですべてに気づき、改善する余としている。キルケゴールは、学ぶ者が非真理であるといいます。非真理のゆえに、非真理を自覚したうえで、それ以外の存在は真理を持たない。信仰とは信じる情熱のことであり、理性的営みとは反対するものだと言います。逆説とは不合理に他なりません。キルケゴールがいうことを想定すると人は孤立した存在であることがわかります。自分の中には真理がない、他人に真理がない。他者に頼らずに自己を徹底的に見続ける視線が必要となります。キルケゴールのいう単独者として生きることになるのです。単独者の考えは現代の私たちにどんなメッセージを読み取ることができるか。どのようなつながりであれ、人対人で徹底的に頼れるものは何もない。現代人にとって、非真理だと想定することは難しいですが、真理をいう人を想定することもまた難しい。人から独立して自由に意思決定ができる人になる必要があります。自分の信じるモノがなんであれ、理性的な判断だけでは情熱に打ち勝てない。自己との対峙、自分自身についての点検が必要。自己と対峙して、どのような行動をすべきかを考えることです。

第116章キェルケゴール 不安の概念
愛の働きと書名が変更されているように、主題は、不安というより、愛であると、考えられる。不安が生じる理由は、愛の不在、克服することが、不安を癒すことになると説明する。不安という感情は、愛という志向性と分析され、説明されている。
キェルケゴールは、愛には3つの段階があり、利己的な愛と定義し、不安の元凶と説明する。次に定義される第2段階の愛は、代償を求めない愛と定義され、克服する愛であると、説明している。最後に定義される第3段階の愛は、普遍的な愛であると説明されている。
我々日本人には、困難かもしれないが、第2段階の愛に関する分析と説明は、十分、説得的である。
実存哲学、人生を真剣に生き抜いた人の忠告として、思春期で悩み苦しんでいる方に、作品です。


第117章金田一京助 ユーカリの研究

第118章国木田独歩 牛肉と馬鈴薯
牛肉でも馬鈴薯でもない。現実理想は幻である。科学・哲学による事物のわかるだけで驚くことはない幻をみて、満足しているのである。幻の最たるものは、死。決して死そのものをみて驚かない。
彼は、幻理想空想、世人は不思議になれて安んじているが、驚異の念を保つことが大切


第119章国木田独歩 武蔵野
淡々と情景を書き記している、自分が武蔵野を散策しているが如く感じられる。味わいが異なる、独歩の名作です。独歩が散策した武蔵野は、宅地化されてしまいましたが、今も読み、聴くこともできることをよく思います

第120章久米正雄 破船

第121章ケイン ドンナローマ

第122章ゲーテ 詩と真実
世界のゲーテの自伝です。経験によって瑞々しい感性良識が育っていく様子を描いています。いろいろな経験が個性を持った人格の形成にどう影響するかが描かれており、特殊な経験もけっこう大切だということが伝わる古典でも新鮮である。

第123章幸田露伴 連環記
道心やみがたく出家の身となった慈仁の人慶滋保胤。その彼のもとへ、愛する女の死に世の無常を悟った大江定基は身を寄せる。人生の明と暗、陰と陽とが結びあい、露伴ならではの広大な文学空間がひらけてゆく。
第124章小林秀雄 私小説論
小林秀雄の評論。経済往来に連載。文学者の転向などの文学状況のもとで示した文学史的展望として重要である。私の検討が生じたが、それを社会化した私とよぶことができる。これに対し日本では私の純化に向かい、日常性の芸術化としての心境小説が生じた。日本文学の偏倚を批判し、私小説は亡びたが、人々は私を征服したらうかと警告して論を結んでいる。

第125章笹川臨風 近世文芸志

第126章佐藤一斎 大学一家私言

第127章シェイクスピア ハムレット
シェイクスピアの作品はテーマが3つに分けられる。ハムレットは命に属する作品、女はロミオとジュリエット、金はジュリアスシーザー、マクベスなど、ハムレットはそんなものには目もくれず、宿命を背負って死ぬ。シェイクスピアの哲学は現代にも生きている。


第128章シェイクスピア リア王
四大悲劇の1つ、リア王では、3人の娘に王への愛情を言葉で言わせて、それによって領地を分け与えるという。シェイクスピアが元ネタにした作品では、末娘が自分は好きな人でなければ国の王子でも嫁には行かない、と宣言したので、王は、姉妹のうち自分を愛しているかを競わせ貴族に嫁がせようということが記されているそうです。なのに、シェイクスピアは、王の愚かさを強調するエピソードに変更しました。悲劇は、愚かさにより生まれたもの、道化が笑いものにしてしまいます。

第129章シェイクスピア マクベス
シェイクスピアの戯曲の中で、マクベスが一番。内容は有名ですが、英雄マクベスが、運命の三人の魔女に行き逢い惑わされて、主君を暗殺し暴君となり殺害される。破滅までの道程を描いた。セリフで
「いったん悪を始めたからには、悪を重ねること以外、強くなる道はどこにもないのだ」
と言わせて、運命に全てまかせようとするマクベスを描いている。運命に抵抗し続けた不屈の超人なのかもしれません。

第130章シェイクスピア オセロ
嫉妬というオセローの愚かさ・惨めさばかりが際立ちます。人種差別というもう一つの視点を加えて見直してみると、人間というものが避けられない偏見という必然性を感じます。

第131章島崎藤村 若葉集
まだあげ初めし前髪の
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
島崎藤村の第一詩集『若菜集』に収められた有名な「初恋」の最初の部分である。初めて知った胸のときめきが林檎畑を背景に歌われている。青春の甘酸っぱい思いが人々の共感を呼び、長く愛誦されてきた。藤村の感性豊かな詩に出会うことができる。


第132章島崎藤村 破壊
部落問題は東京に比べ大阪や京都、兵庫ではまだまだ部落的な位置付けのエリアが色濃く残っています、今現在でも言われもない差別を受けている人たちがいることを改めて考える必要があると思いました。
第133章島崎藤村 夜明け前
主人公は、藤村の父をモデルとする半蔵。庄屋を兼ねる家に生まれ半蔵は又、国学の教えを受け、国学というのは神武創世に戻れという主張のようです。日本は天皇中心の神の国であるという考えのようです。この国学というものに影響を受けながら、半蔵は「夜明け前」をどう生きるのか、それが物語の中心だと思います、鎖された日本、国学の影響力というものを知るとともに、藤村という人間が大きな謎としてあらわれてきた。

第134章子母澤寛 新撰組始末期

第135章ショーペンハウエル 意志と表象としての世界
ショーペンハウアーは、世界は私の表象であるという言明にも示されているように私を残響させた解脱の展望である。ショーペンハウアー哲学の限界もある。そこは仏教哲学の核心そのものとは異なってもショーペンハウアーは意志と表象としての世界第4巻の最後のところで、無を持ち出した。意志を完全になくしてしまった後に残るところのものは、まだ意志に満たされているすべての人々にとっては、いうまでもなく無である。しかし、これを逆にまして考えれば、すでに意志を否定し、意志を転換しおえている人々にとっては、これほどにも現実的に見えるこのわれわれの世界が、そのあらゆる太陽や銀河を含めて、無なのである」。芥川龍之介や太宰治に何かを感じたことがあるのなら、ショーペンハウアーがいることを覗いてみたほうがいい。ヴィトゲンシュタインもショーペンハウアーなのである。

第136章シラー オルレアンの少女

第137章吹田順助 ヘルデルリーン
「この地上では/君の住まう場を求めても/所詮甲斐ないのだ」(ギリシャ)ヘルダーリンは、天上の戯画も描けず、天上の残響も聞かず、世界やアジアは天上の表象であり彼の指す天上は、神のさらに遥かにあったのかもしれません。失望もあったでしょうか。天上を思う流離の行人でさえをも遠く眺めやるだけです。「それにしても これは何か?」/高地の道を ひとりのさすらい人が/死を思う激情に駆られ 辿って行く(記憶の女神)いずれも詩人であることを尽くした10年ではあったでしょう。

第138章ゾラ 居酒屋

人間臭さの溢れる、気持ちの良いものではありませんが、それが魅力。様々な人に影響され、翻弄されて生きる、驚くほど性格が変化していまいますが、それを不自然と思わせないゾラの力量を感じました。

第139章高見順 故旧忘れ得べき
 酔払った小関は小声で歌い出した。蛍の光、澤村離別の意味で蛍の光がしめやかに歌いだされた。矢張り歌いたい気持があった。過去との決別。将来への出発。そこには悲愴さも清々しさもまるで無く、滑稽なまでに。

第140章高見順 如何なる星の下に
昭和十年代の浅草風景や人物の描写が素晴らしく私を通して描かれる人生模様、カフェ・・戦前の描写が鮮やかに映っています。文章のリズムがとてもいい空気を、絶妙に伝えてくれる名著です。
第141章高山樗牛 わが袖の記

第142章田山花袋 蒲団
 本人を投影した主人公の小説家が、ストーリーとしては、現代小説だとごく普通のメロドラマ。
しかし、当時は、文学の芸術性がようやく日本の中で認められようとしていたさなか、苦悩するオヤジさんの内面描写は見事であり魅力は本物だとは思います。


第143章田山花袋 田舎教師
文章を読むだけで、田舎の風景や学校がありありと描くことができました。素晴らしい作品です。

第144章坪内逍遥 小説神髄
小説は読者の心の眼に訴えると述べているところが文学論として有名総じて法則といふものは、俗にいふ忠告と同種のものなりと述べているように、理論は理論として読み物として面白くなくなるというスタンスも魅力的。

第145章坪内逍遥 当世書生気質
歯切れの良い文章に忠実な描写、人間の機微を見事に書き切ってます。華やかな文明開化の様子、
当時の学生模様を知りたい人は昔も今も学生は変わりません

第146章ツルゲーネフ 父と子
「ニヒル」という概念は虚無感とは思います。古い体質に懐疑的になり、このバザーロフは科学的な分野にのみ生きる道を求めようとするわけですが、豪放な父親の素朴な愛情や、迷信にうろうろする。父親のセリフに、「あと20年もすれば、お前たちの術も古臭いと言われるようになるさ」という言葉がありましたが、改革といったもののツルゲーネフの筆致は、世代を超えて読み継がれる不朽作品です。

第147章デュマ 三銃士
ガスコーニュ出身の田舎貴族ダルタニャンが立身出世のためパリに出て、三銃士と出会い、ドーバー海峡を渡り大活躍。200年前の小説とは思えないユーモアのセンス、ユニークな語り口。何度も映画化されている理由がわかります。


第148章土井晩翠 天地有情
「荒城の月」で著名な、土井晩翠先生の第一詩集が天地有情です。20代でこれだけのものが創れる。今の日本人に必要なものをもった人ではないのかと考えさせるものがあります。

第149章土井晩翠 晩鐘

第150章杜甫 杜工部集
旅夜書懐(旅夜(りょや) 懐(おも)いを書す)  杜甫  

  細草微風岸  細草 微風の岸  
  危檣独夜舟  危檣(きしょう) 独夜の舟 
  星垂平野闊  星垂れて平野闊(ひろ)く 
  月湧大江流  月湧いて大江(たいこう)流る      
  名豈文章著  名は豈(あ)に文章もて著(あらわ)れんや 
  官応老病休  官は応に老病にて休むべし 
  飄飄何所似  飄飄(ひょうひょう) 何の似る所ぞ 
  天地一沙鴎  天地の一沙鴎(いちさおう) 

     旅の夜に思ふ

  草細くそよ風わたる岸の舟たかき帆の下
  ひとり寝られず

  星空が地に垂るまでに野は広く月は江(こう)
  より湧きて流れる

  名を上ぐるに詩はふさはしきものなりや
  身は老い病みて官には耐へず

  さすらひのこの身を例ふとするならば空に
  漂ふ一羽のかもめ 

   註 765年の作。
     杜甫は家族とともに草堂を離れ、故郷めざして
     長江を下った。
     この詩は忠州(四川省忠県)あたりでの作。

第151章豊島興志雄 白い朝

第152章トルストイ 復活
トルストイの狙いはこの物語を取りまくもろもろの世俗的権威、裁判所、元老院、官庁、刑務所等々の仮面を剥ぎとり、その偽善性を容赦なく摘発することにあった。ロシア上流階級と下層階級とを、ネフリュードフとカチューシャとの相互関係においてきわめて有機的に統一して描き出している光あるうち光の中を歩めを読むと、この文豪の晩年の思想が見えるように思える。復活も、全くそうした晩年の思想と無縁ではないように思えてならない。体制批判ばかりでなく、人間が救われるためには、向き合わなければならない重い社会的課題を大胆に提起しているようにも思える。

第153章中村光夫 志賀直哉論
中村光夫は志賀直哉論において志賀直哉を極めて妥当に次のように激しく糾弾します。 かういふ極端に男性を中心にしか感受性の働かない作家が男女間の倫理の問題を扱ふのは、それ自身無意味なことです。彼がエゴイストだからといつても事態は同じことです。なぜならエゴイストにとつて倫理的思索の第一歩は相手の人間のエゴをみとめることにあるのですが、志賀直哉には──そして時任謙作にも──男女間の問題を生活に即して考へる限り、この一番大切な前提が欠けてゐるのです。 
 中村光夫は、マルクス主義への観念批判をそのまま移して、志賀における他者の不在を批判している。中村光夫の批評の視座は、つねに、日本近代におけるの社会的未成熟といった構造を浮かび上がらせるようなものだったと言える。

第154章中村光夫 二葉亭四迷論
中村光夫が青春を問う以上、二葉亭四迷を論じるのは自然です。青春期の近代日本が経験した父殺しの父を生み出したからです。日本近代文学の書き言葉の原型は二葉亭によるロシア語から日本語への翻訳です。日露戦争による軍事的勝利は文化的父殺しへと変容して意識されると同時に、日本近代文学は二葉亭という父を殺して、私小説へと成長していく。

第155章中山義秀 厚物咲
中山義秀の短編小説。守銭奴でくびれ死ぬが、足下には片意地の咲かせたみごとな菊の厚物咲が横たわっていた。片野の数奇な運命を老友瀬谷が物語る。人間の奇怪な業が描写されている。

第156章中山義秀 テニヤンの末日

テニアンの末日

Img_0492
サイパン島の南には空路で約1030分ほどで行けるロタ島、テニアン島があり、観光客は、この島で激しい戦闘が行われことを、知っているのだろうか。第二次大戦のとき、日本軍が守るテニアン島へ、終戦の1年前の夏に米軍が空陸から圧倒的戦力で攻撃、地形が変わるほどの砲弾の雨、嵐のなか、陥落した。中山義秀著「テニアンの末日」(1949年発行)には、主人公の一人の若い軍医の目を通して悲惨な戦争の日々が書かれている。若い軍医は共に医学を学んだ親友とテニアン島に派遣される。米軍からの空爆に抵抗できる武器を持たず、米軍を攻撃するため次々に飛び立つ飛行機が帰って来ない。部下を理不尽に殴る上官、司令部だけが島を逃げ出そうと画策する、など義憤を感じる。戦場でも2人は共通の趣味であるコーヒーとクラッシック音楽と読書で、学徒的情熱を失わず交流。人類は今度こそ戦争に凝りて、永久の平和を講ずるようになるだろうと話し合う。やがて全員玉砕の日まじかに友人の死を知る。主人公は意識を失ってゆく。米国テキサスの俘虜収容所から日本に送還された。人間のすさまじい体験や恐ろしい記憶も同じようにして時日とともに遠ざかり薄れてゆく。

第157章長与喜朗 青鋼の基督

第158章司馬遼太郎 項羽と劉邦
まずは始皇帝の秦がなぜ滅びるのかから始まるこの物語は人民を納得させる厳しさと優しさのバランスの難しさ
圧倒的な強さだけ持っていても駄目だし、難しさを痛感させられる、経営者や部下を持つ人にとっても いろいろと参考にさせられる書である、平和な日本になるためにどれほどの犠牲を払ったのかについても同様である。


第159章夏目漱石 吾輩は猫である
夏目先生の第一作ということ。猫に物語を語らせ猫目線の様々な物語が出てきて読み取れなくても仕方がないのではと思います。自分だけじゃないと一緒に考えさせられるところもあり人生そのものを物語で描いている小説なのではと思います。

第160章夏目漱石 坊ちゃん
坊ちゃんの周りの人たちが善人、悪人と納得の気持ちです、人間関係は複雑だから面白いとも言えるし
人生の悩みは尽きないともいえる。幸福も不幸も周りの人々からもたらされることを思うと対人関係は
難しいものだと感じます。

第161章夏目漱石 こころ
天皇の崩御と乃木大将の殉死は「明治の精神」の最期の象徴、新しい時代を迎えるこれからの日本には、もはやその精神はなくなっていってしまうだろう。時代の流れに従って、資本主義的な考え方に支配されることを拒んだ先生は、「明治の精神」のあとを追って自ら命を絶ってしまったのです。こうした先生の考え方は理解するのも共感するのも難しいしかし、丁寧に先生の考え方を辿っていくと、先生の一貫した考え方と行動の必然性がきちんと浮かびあがるのです。日本を代表する文豪・夏目漱石の実力を感じることができるでしょう。

第162章ニーチェ 悲劇の誕生
ギリシア思想の生い立ちに疑義を呈し、ディオニソス信仰の淵源を探った画期的な論文である。近世ヨーロッパをソクラテスを原像とする、アレクサンドリア文化の受け売りと断定したニーチェは、「ギリシア的快活さ」の偽善を覆すべく、価値転換を試みたのである。

第163章西田幾多郎 善の研究
自律的倫理学説と他律的倫理学説のどちらが正しいか
性善説か性悪説か。答えを出すのは西田幾多郎のいう知的直観
によって知情意の根底を統一する人格的な力による。
自己と他者の知情意を統一し、絶対矛盾を解消する宇宙的統一力
。また、西田幾多郎の主張の通り、学問道徳の本(もと)には宗教
がなければならないのだろうか。唯物論は間違いなのだろうか。
と考えさせられるものである。答えは妙法である。
第164章西田幾多郎 無の自覚的限定

第165章ハイネ 歌の本
激動の時代を熱烈に生きて戦った詩人ハイネ.祖国ドイツでの彼の評価はめまぐるしく変わり,ナチス支配の時代には完全に抹殺されさえしたが,その秀麗な抒情と卓抜な批判精神は,国境を越え時代を越えて数多くの読者を持った,本巻には「若き悩み」「抒情挿曲」を収録.

第166章ハイネ ドイツ冬物語
ハイネは12年間のパリへの亡命の果てドイツへの帰国が許されました。
本作はドイツへ帰国するまでのハイネの心情を歌ったものであり、ハイネ独特が風刺が薄く物足りない気がしますが、それでも「ドイツ詩の最高峰」ハイネの詩に酔いしれます。

第167章バイロン ドンジュアン

第168章長谷川天渓 文芸思潮論
明治30年代の初め,文学および思潮一般にわたる広い文明批評的評論を試みた天渓(1876‐1940)は,自然主義文学を嚮導したもっとも戦闘的な評論家であった.本書には,ニーチェイズムの高山樗牛批判で有名な「美的生活とは何ぞや」をはじめ,「理想の破滅と文学」「現実暴露の悲哀」など,自然主義文学運動に関係の深い評論を収めた.

第169章樋口一葉 たけくらべ
子どもが終わるときと大人になるとき、人は二度悲しみを味わう。重なり合っていると言ってもいい。そのはざ間を、その瞬間を樋口一葉はこの『たけくらべ』で見事に描いた、抉り出したのだ。大人の世界に踏み出せず、かといって子どもの無邪気さという地にも踏み留まれない二人の心中の、だれしも覚えのあるあの胸をかきむしられるようなもどかしさに、読み手の心は揺さぶられずはにいられない。男は大人になることが目的になり、女は結果として大人になるのだ。ラストシーンもあの雨中のシーンに呼応するかのように、二人が大人になった瞬間のなかに、もう二度と会うこともない悲しみと憂いと懐かしさという永遠を一葉は完璧に封じ込めたのだ。古典がなぜ読み継がれるか、その秘密がここにある。

第170章樋口一葉 にごりえ
「女流」でなければ現代までは、同時代の鴎外や漱石と比較するのはやや酷だし、文章も極めて冗長であり、洗練されているとは到底言いがたい。女性ならではの細やかな感性によって、江戸の人々の生き様を生き生きと描いており、登場人物の息吹が目の前に感じられる思いがした。女に対する視線も優しく、女性ならではの視点も活きている。最後の心中はドラマティックであり、本書の輝きを確かなものとしている。

第171章樋口一葉 十三夜
句読点がほとんど打たれておらず、その点に読みづらさを感じた。しかし、読みづらさの中にも独特の流れるような文体は作者の資質の一つだろう。女の生き方に心を打たれ、様々な思いや感情が駆け巡った。現代にも共通する問題、いわゆるパワハラやDVといった家庭的な問題も見られる。女性としての幸せとは果たして何か。家庭的な問題を超えた先に幸せはあるのか。読者として考えさせられる一冊。

第172章福沢諭吉 文明論之概略
福沢諭吉は、神道・儒教・仏教・キリスト教を視野におさめている。正直なふりをしたり、信じているふりをしたりできる。それに対し、福沢諭吉の言う《智》は「形而下学」であり、実学=科学であり、維新期の「文明開化」には科学が大切だということを、当時の日本の国の現状に照らして、強烈に主張している。

第173章プラトン 国家
国家と正義について、また、イデアについてプラトンの考えが書かれています。
国家と魂が善くあるためのに、知恵と勇気と節度の3つを求めています。
そして、これらの物をコントロールすることができるように、才能を持った人を正しい教育法でふさわしい人間になるように教育していきます。そうして、正しい教育を受け、真実を見る事の出来るようになった哲学者が国を支配し、国民を導くようになることが理想の国家となります。

第174章プレハノフ 史的一元論

第175章プレハノフ マルクス主義の根本問題

第176章ヘーゲル 論理学
武市訳では「有・無・成」を山口訳では「存在・無・生成」となっており分かりやすい。その数は少ないが、適切な注である。有論はこの上巻一、上巻二に分冊されている。先が質を扱い、後が量と限度を扱っている。
 最初に序が二つついているが、この序にはヘーゲル意図や全体的な構図が語られておりこれだけでも読み応えのあるものである。次に有無の端緒論がつづく。有無はなにものでもなく、成にいたって、初めて有無が契機となって展開していく。 ヘーゲルの読者には現象学により関心をもつものと論理学により関心をもつものと二つに分類されるようである。そして論理学の方がより弁証法的であることはいえると思う。論理学は現象学と違って特徴となる項目がこれと言ってないので、無味乾燥であるかも知れない。しかし、論理の展開を理解すれば、現象学よりも明快である。

第177章ヘーゲル 精神現象学
観念論の立場にたって意識から出発し、弁証法によって次々と発展を続けることによって現象の背後にある物自体を認識し、主観と客観が統合された絶対的精神になるまでの過程を段階的に記述したもの。カントの認識と物自体との不一致という思想を超克し、ドイツ観念論の先行者であるフィヒテシェリングも批判した上で、ヘーゲル独自の理論を打ち立てた初めての著書である。序文の中にある「死を避け、荒廃から身を清く保つ生命ではなく、死に耐え、死のなかでおのれを維持する生命こそが精神の生命である。」という言葉が、この著作におけるヘーゲルの立場を端的かつ率直に示した表明として有名である。死とは感性的・直観的ないし形式論理的な文脈のなかでの精神の自己喪失状態を表している。

第178章ヘルダー 人類史哲学の理念

第179章ボードレール 悪の華
例えば、冒頭の詩編<読者に>の本文4行目から8行目の堀口訳は、

「われらが罪は頑だ、われらが悔は見せかけだ。
 思惑あっての告白だ、
 だから早速いい気になって、泥濘道へ引返す、
 空涙、心の汚はさっぱりと洗い流した気になって。」

とある。


第180章ボードレール パリの憂鬱
古典を読みたいと思い手にとり現代日本、都会の片隅でひろげた一冊の本。
ボードレールが見た街の様子やその気配、今、この場所とはまったく違うのに、こんなにも、心に入ってきて、妙に落ち着くのは何故だろう。一事が万事、疑問を持った。

第182章三木清 パスカルにおける人間の研究
哲学的或いは人間学的に解釈したという理解も少なくない。確かに三木が直接師事したハイデガーの実存哲学の影響が随所に見られはする。だがそれ以上に本書には三木の宗教的パトスが一貫して流れているように思う。その意味では極めて正統的なパスカル理解と言える。

第183章ミシュレ フランス史
フランスの歴史家・ミシュレ『フランス史』は、ミシュレに特有の冗長な表現を要約しているともいえる。この第1巻はイギリスの歴史家グーチによって「もっとも完全な不朽の著作」「彼の天才が伸びきった時代の著作」と評された原書の第6巻までを収録した。特に第2章「タブロー・ド・フランス」はフランス史において初めて地理的要因の重大さを指摘し、ミシュレの国土愛・博物誌への興味がうかがえる。ルイ好人物王やルイ聖王など、無垢で純粋な魂ゆえに滅びてゆく人物に与えられた。

第184章ミシュレ フランス革命史
愛国心があふれ出てくる。女は偉大だ。尊敬の念があふれ出ている。信念、勇気、自己犠牲、そして殉教。共和制。社会主義。封建社会。カトリック。何でもある。学校の教科書で習ったフランス革命は数行、全然違う。本当のフランス革命を知ろうではありませんか。

第185章森鴎外 舞姫
ベルリン留学中の若いエリート・太田豊太郎は、街で出合った美しい踊り子・エリスの危機を救った。やがてふたりは魅かれ合い、豊太郎は友人の中傷により免官となる。いったんは栄誉を捨て、エリスとの愛を貫こうと決意するが。難しい文面の名作です。

第186章森鴎外 鷹

第187章森鴎外 阿部一族
苛烈な時代の悲劇とはいえ、何が原因なのか、「人は誰が上にも好きな人、いやな人というものがある。そしてなぜ好きだか、いやだかと穿鑿してみると、どうかすると捕捉するほどの拠りどころがない。利忠が弥一右衛門を好かぬのも、そんなわけである」人の相性というものがあって、人生を大きく左右する。「死ぬこと」にこだわる佐賀藩、その理由がわかります。漢が漢に惚れて死をともにするのが当然という相性の良さがうまく描かれています。いい相性の相手と巡り会える。それが人生の醍醐味だと思います。

第188章柳田國男 桃太郎の誕生
「桃太郎」「瓜子姫」など説話を収集・分析し、その変化の過程や源流にある日本人古来を考察しようという一冊です。柳田先生の日本民俗学に対する熱い思いが伝わってきます。推論を脱しえぬ部分が多い分野ですが、昔の人がどのように物事を考え、どうやって物語が伝えられてきたのか、古に思いを馳せて考えることはロマンに溢れとても楽しいことだなぁ、と実感しました。

第189章矢野龍渓 経国美談
 キャラクターの中では、単純馬鹿で周りからちょっと軽んじられている瑪留 (メルロー)、猪突猛進で融通が利かず、憎めない。それ以外の人物はあまり個性を感じられなかった。スパルタアメリカチックだけど、そんな寓意を読むにしては、疲労度が高すぎる。ペダンティストになりたい人向け。
第190章与謝野晶子 みだれ髪

第191章与謝野寛 相聞

第192章吉川英治 私本太平記

第193章ルソー 告白

第194章蘆花 不如帰

第195章蘆花 思い出の記

第196章ワーズワース 序曲

第197章渡辺崋山 憤慨論

第198章私の履歴書 池田大作

第199章ガンジー

第200章イワンの馬鹿

第201章蝋燭

第202章二人の老人

第203章私の仏教観 池田大作

第204章アショーカ王碑文

第205章世界史概観 hgウエルズ

第206章ルンミンデーイー 小石柱法勅

第207章ベートーベン 長谷川千秋

第208章静観詩集 ユゴー

第209章サーダナー タゴール

第210章ギ―タンジャリ タゴール

第211章ノーベル伝

第212章神曲 ゲーテ

第213章冬のハールツ紀行 ゲーテ

第214章タウリのイフィゲーネ ゲーテ

第215章群盗 シラー

第216章たくみと恋 シラー

第217章親和力 ゲーテ

第218章ゲーテとの対話

第219章プラトン全集

第220章ソクラテスの弁明 プラトン

第221章法律 プラトン

第222章ティマイオス プラトン

第223章レオナルドダビンチの手記 レオナルドダビンチ

第224章レオナルドダビンチ 下村寅太郎

第225章ニーチェ

第226章狂人日記 魯迅

第227章阿Q正伝 魯迅

第228章アインシュタイン ホフマン

第229章アインシュタイン伝 矢野健太郎

第230章方法序説 デカルト

第231章省察 デカルト

第232章情念論 デカルト

第233章デカルト考 ポールバレリー

第234章王道論 アリストテレス

第235章植民論 アリストテレス

第236章アレキサンダロス大王

第237章ベルクソン

第238章第一原理 スペンサー

第239章イディー ヘーゲル

第240章哲学の方法 ベルクリン

第241章時間と自由 ベルクリン

第242章創造的進化 ベルクリン

第243章物質と記憶 ベルクリン

第244章道徳と宗教の二源泉 ベルクリン

第245章意識と生命  ベルクリン

第246章哲学的直観 ベルクリン

第247章ワシントン伝 リンカーン

第248章アンクルトムの小屋 ストウ夫人

第249章リンカン 石井満

第250章社会変革と宗教倫理 rnベラー

第251章ペスタロッチ伝  ドゥガン

第252章若き日の読書 池田大作

第253章続私の仏教観 池田大作

第254章内なる世界 池田大作

第255章21世紀への対話 池田大作

第256章21世紀の精神の教訓  池田大作

第257章最近の話題作

ネクスト・ソサエティ(ピーター・ドラッカー) https://www.amazon.co.jp/dp/4478190453
ドラッカーがネクスト・ソサエティを論じたということは、日本は19世紀のヨーロッパの国であり、外務省に象徴されるように、製造業の人口が10%をきらないと危ないとも指摘している。ネクスト・ソサエティをもたらす社会の変化が、働く人たちの役割を規定していく。すなわち、経済よりも社会の変化のほうが重大な意味をもつにいたった。

人を動かす(デール・カーネギー) https://www.amazon.co.jp/dp/4422100513
自己啓発書の原点となった名著。人が生きていく上で身につけるべき人間関係の原則を、実話と、実践で磨き上げた事例を交え、人間洞察とヒューマニズムを根底に据え人の心を突き動かすための行動と自己変革を促す。


善悪の彼岸(フリードリヒ・ニーチェ) https://www.amazon.co.jp/dp/B00RF1QFD8
過去の哲学者たちが道徳性について考察するときに、代表的な対象はカントルターである。本書は伝統的な道徳性を、排し進むという意味で、「善悪を超えた(=善悪の彼岸にある)」領域へ伝統的な道徳性を、ニーチェは破壊的な批判にさらす、批判をするときニーチェが支持するのは、感覚主義やモラリズムであり、近代的個人の危険な状態等と衝突することを恐れない。

どん底の人びと(ジャック・ロンドン) https://www.amazon.co.jp/dp/400323152X
19世紀末のロンドン、イーストエンドの実態、自身が実際に貧民街で困窮者のふりをして彼らと同じ体験をしているというのが一方で、こんなに貧困を生んでいたとは知らなかった。なんとなく現代の日本と共通するところがあるようでロンドンに学ぶところがあるのではないか。

ワイルド・スワン(ユン・チアン) https://www.amazon.co.jp/dp/4062816636
自分の考えを口にしたり表明しようものなら、それだけで逮捕されたり拷問されたり暴力を受けたりする政治・環境・社会があった。自分の理性に従えば自分が迫害されるのを免れない。指導者は革命のためという大義名分のために、 自国や国民のことを大事に考えない統治者の政治の恐ろしさ。  








0 件のコメント:

コメントを投稿