仏法Q&A

仏法Q&A
ここに仏法Q&Aとして生きていく指針となってくれればありがたいです。
このブログでは仏法の疑問点を〇問として順次解説していく

1問.人は何しに生まれてきたか?
  戸田先生曰く、「仕事するにも楽しみながらすること。食べ物にも甘みを
  入れたり塩を入れたりするけれど塩を入れすぎるとつらくなるとのこと。
  宇宙とは何か
     戸田先生は「宇宙生命は大慈悲の働きとして
     顕現しているその慈悲により創造性、
     エネルギーとなって進化が織りなしてきた。
     この進化に貢献するところに人類の使命が
     ある」と主張していた。
2問.生きる意味って何か?
  業を消すのに一生のうちで信心で消せる。転重軽受して大きい業を軽く
  受けられる。そしていいところへ行けるということ(戸田先生より)
  釈尊の仏法は一生で1つ消し何百年もかかった。

3問.悩みってなんで解決しないの?
  89歳のおばちゃんが言うには、いっぱいお題目をあげないと、難は乗り越
  えられない。題目をあげる力をくださいと祈ると、いつか「叶った」
  と思える日が来るとのこと。過去の業が簡単に消えるのは、逆におかしい
  「良からんは不思議」と日蓮大聖人様は言っている。信心していれば、
  少病少苦である。

.本仏とは?
  諸法実相抄の戸田先生講義より、衆生を本仏、他経等、多宝仏等
  を仏(迹仏)という。
 
.人法一箇とは?
  釈尊は人法体別、人と法は別、釈尊は人に教化するため、色相荘厳の迹化
  としているので随他意の仏身であり随自意の教法である。
  大聖人の人法体一は大聖人と三世常住尊極の法、南無妙法蓮華経とその法
  を体現して衆生を教化する日蓮大聖人は一体不二であるということです。

6問.病気とは? 病気を治すにはどうしたらよいか
  ①今世の病を二分すると心の病と身の病に分けられる。身の病は地水火風
   心の病は八万4千ある、身の病は西洋医学、漢方など、心の病は軽いものは
   西洋医学で治りますが、重いものは仏法との共同作業が必要となります。
  ②病気の原因は最近の化学物質、電磁波、そして食物がそれによってい生命
   エネルギーを失ってしまっているためで、これは仏界に感応して宿命、
   悩みを転換するしかない、ただ、身の病は食べ物、食べ過ぎ、運動によってお
   こるので、菜食、粗食が良いと思われる。
   
7問.仏教と医学とは
  1.序
    1.1仏法と医学
     仏教の創始者は釈尊です。仏教の出発点は生老病死の苦悩の解決にありま
     した。医学という学問も死苦のすべてにかかわっています。仏教と医学は
     人間生命の根本に苦悩し出発点と目標を共にしているようです。インド
     医学と種々あります。また仏教医学といっても原始仏教、倶舎論、
     唯識論、大智度論とあり、ここでは天台大師の摩訶止観を使い、最終的に
     日蓮大聖人の著作に根拠を置きます。
    
    1.2阿闇世王の物語
     この世に生を受け、アジャセは心に煩悩が渦を巻いていた。その煩悩を
     提婆達多に触発され、父母を殺害したのでしょう。
    
    1.3無明惑と仏性
     父母を殺害した無明惑、煩悩は釈尊の下で懺悔し、観解の光がともり、
     しかし、悪そうとなって出現し、その苦悩を救ったのが釈尊の知恵と
     慈悲の生命でした。生命に実在する仏性です。宿命的な疾病、業病
     言います。身と心の病にのたうつアジャセをいざなったのは良医ぎばです。
     このときのぎばの言葉釈尊へと導く重要な役割をしています。このあた
     りに仏教医学の基本的な姿勢がうかがわれるようであります。
  
   2.仏法医学の基盤
    2.1̪四諦について
     苦諦、病相の診断、集諦、病因の追及、滅諦、理想的健康体、道諦、治療法
     は病者を治療へのルートを示し、人間らしい理想像へとつながり仏教その
     ものへと流入していく。
    2.2仏法的生理学 五おん仮和合
      日寛上人の三重秘伝承に「五おん仮和合することを名ずけて衆生という」
      とある。
      五おんとは色受想行識で色とは身体を表し仏法では極微まで分解し、
      性質により4つに分けたのが4大説で、地水火風の4つの極微がが集合
      して識おんを作り上げたと考える。この4つの極微を仮の4大と呼び、
      仮の4大を呼び出す根拠に実の4大を想定し実の4大こそ仮の4大の本源
      態であると主張する。仮の4大は物質の最小単位であり、その性質と
      して地の極微には堅性、水の極微には湿性、火の極微には熱性、風の
      極微には流動性が備わっている。しかし色おんの究極は極微としての
      仮の4大ではなく4種の性質を持つ物質としてうかびあがせる実の4大
      そのものまでるきつく。
      実の4大種の性質が物質的存在としては仮の4大として現れる。現代物
      理学では粒子としての素粒子と物質エネルギーとしての2面性をもって
      いる。4大の顕著に表れるところとして地大は骨、水大は液体、火大は
      発熱、風大は呼吸として現れる。
                  実の4大は色おんとして現れてて来るときには、目耳鼻舌身の5根とそ
      の対境として色声香味触の5つの境を形成する。色おんが実の5大と
      して現れるとき、目耳鼻舌身の5根とその対境として5境、色声香味触
      の外界の世界とつながる。5根の分析は西洋医学より仏法のほうが優れ
      ているようです。色境は顕色と形色の2つある。顕色には青、黄、赤、
      白、雲、煙、塵、塵、影、光、明、暗の組み合わせ色ができると考えら
      れる。また形色には長、短、方、円、高、下、正、不正がある、
      声境は8種ある。有執受と無執受があり、有執受は声、音。無執受は
      風、川の自然音である。また有情が発する音と、無情が発する音で
      区別する。味境は6つあり、甘い,酸っぱい、塩辛さ、辛い、苦さ、渋さ
      の6種です、香境は妙、悪,等、不等がある。感触は堅、湿,暖、滑、祖
      動,重、玲、渇、飢がある、以上が身体の色おんです、次に精神に移り
      ます。このようにして5根、5境に5識が対応して5おんか和合の原理は
      肉体と精神を統合している。
    2.312縁起説
      仏法的生理学が色おんを中心とした生命機能を把握しようとした、
      12縁起説は生命流動の実相を述べている。一切のものは縁起によって
      関連しあって生起しているというのが仏法の基本的考え方です。
      老死ー生ー有ー取ー愛ー受ー触ー6入ー名色ー色ー行ー無明の
      項が取り上げられている、仏法では業力発現の根源を無明という煩悩
      をとらえます。この無明こそが12縁起をおりなす生命流転と疾病の
      根源に位置していたのです。12縁起はこの無明をとらえるところで
      終わっている。
   3.病因論をめぐって
     3.1病因の分析
       病気の分析については西洋医学のほうが精密です。
       ここでは仏法特有の分析として今世の原因と過去の業の2種類に
       つぃて有りここでは今世の原因において身の病と心の病につぃて
       検討する。
       大智度論による分析
          ----ー
         |     |
        業病   今世の病
                |
              ----
             |    |
            身の病  心の病
            ---
           |   |
          内病  外病
         飲食不節 寒熱

                過去
             業病 / 
                         鬼   魔       /   心の病
                                    ーーー /ーーー
              身の病  |     /  心  今世の病
                  座禅不調      |     /  魔 |
                  寒熱外傷      ーー /ーーーーー
             未来
    3.24大不順の病
     地水風火によるもの、熱、玲や魔、鬼によるもの、つまり環境
     ウイルスによるものである。
    3.3リズムの本質、クラーゲスのリズム論より
     精神と生命のリズムは常に触発され更新されている。生命は16分
     の1秒の間隔で脈動し、これがずれるの精神が乱れる。
    3.4煩悩と心の構造
     9識論、三惑、煩悩より説明すると5識、6識が身心で6道7識が
     精神我で2乗、8識が菩薩、9識が心王で日蓮大聖人の仏法、すべて
     の識である。また、煩悩である無明惑が第六天の魔王となり、そして
     変革の種となり、法性となり善となる
    3.5魔の所為の病
     瞋恚は生命流を混乱させ地獄界と呼ぶ。生命のリズム、破壊が
     魔の所為である。人天では限度がある、菩薩による8識に触発するこ
     とにより、この慈悲のエネルギーにより疾病を治癒可能とする。
     タラーゲスニよる塵じゃと無明惑の制御はすばらしい精神我でも
     不可能である。内なる魔は無明惑、塵じゃ惑、見思惑のリズム破壊
     となり魔の所為の病となり、生命リズムの乱調は極めて大きな
     基盤となった。
   4.永遠の生命と業病
    4.1死後の生命
     輪廻転生の考えより仏教医学では業病を考える。死後の世界を中有といい
     これは天眼を備えていると倶舎論ではいいます、この中有を唯識派の
     九識論では中有論を識に置き換えます
    
         5識     表層心理
       6識
     7識         深層心理
    ----------
        8識
      今後。中有、流転、識を同じものと考える。
      中有身は空として阿頼耶識を流れる生命流に他ならない。
    4.2生死流転の様相
     善と悪と無記が業を形成、善は発展、悪は破壊、無記は智慧を磨く善。
     死後の時間は気になるところだが、その時間はその生命の感じ方を言う
     が地獄は無限に感じ、仏界菩薩界は慈悲の力により瞬間だという、地獄
     に落ちたくなければ信心するしかない。
    4.3仏法の因果律
     因果には2つある、異塾因果と等流因果がある。また十界を決める引業
     貧困などを決める満業がある。
    4.4業の起こす病気
     現世、過去せの病の区別はつかず、人界から地獄界へ罪終われば人界へ
     ともどる。業病は狂などを起こし医療に及ばず。
   5治療法の特色
    5.1医師と病者、4弘誓願の意味するところ
     仏教医学の目標は菩薩的生命の獲得だ有る。これは医師と病者の両者に
     よるものである。
     4弘誓願
       衆生無辺誓願度 。。。医者は慈悲を持ち、病者も医術貢献の慈悲
                  を持つ
       煩悩無数誓願断 。。。医師は煩悩の絆を覚知、煩悩三惑の克服は
                  両者で
       法門無尽誓願知 。。。仏法原理と医学的知識の吸収
       仏道無情誓願成
     の誓願を要請する
            5.2天台の25方便ー仏法的治療学(1)
     1.5縁を具す
     2.5欲を呵す
     3.5おんを棄つ
     4.5事を調う
     5.5法を行う
    5.3薬物ガクト6種の治病法ー仏法的治療学(2)
     4大病と薬物
           |風病  |熱病    |玲病    | 雑病
      -----------------------------
      金光明経 |酢熱食 |下薬    |吐薬    | ひふ 
      -----------------------------
      大智度論 |酢の薬草|甘辛渋の薬草|辛渋熱の薬草|
      天台の6種の気の行い方
       吹く 。。。フーと 火をはく 。。。寒気 。。。 心臓病
       呼  。。。フームと口を結ぶ 。。。熱気 。。。 心臓病
          。。。フフフと波を合わせて。。痛  。。。 関節痛
       あ  。。。あははと口を開けて。。。   。。。 肝臓病
          。。。ハーと咽頭に力を入れて    。。。 肺病
          。。。ヒーとはれつかんをあける 労 。。。 脾臓病
      方術、占い、祈祷はかえって魔性をおびき出すので、天台は観心
      を説くが、観心も対治と正観があり対治で生命の乱調をくいとめ
      られないときは正観を試みる、正観は空を会得し空は実体がない
      因縁により現象世界をおりなす。これを仮という。さらに空と仮
      を同時に会得することを中といい、を忘れると疾病になり
      忘れると疾病変革の具体的行動ができなくなる、これを円融の三
      観、正観という。
                  「空海、真言、密教は祈祷で魔物を逆に呼び込むので平家は真言で
      滅亡し、頼朝は戦わずして法華経で鎌倉幕府を開く。」
      「親鸞は西方浄土の仏を信じるが釈迦62歳今までの教え、念仏等は
       人々を誘引する仮の教えという、今でいう仮想現実を見せた、
       ということ。でも我々も現実が仮想現実、空仮中だということが
       わからないのと同じ、仮の教えを信じたままとなる、法華経が
       真実の教えである」
               5.4八正道と六波羅蜜
        八正道       六波羅蜜
                  ①布施波羅蜜 貧心を破す  
        ③正語 ー|
        ④正業 ー|ーーー ②持戒    破戒を破す
        ⑤正命 -|
                  ③忍辱    瞋恚を破す
        ➅精進進 ーーーー ④精進    懈怠を破す
        ⑦正念  ー|
              |---⑤禅定    散乱を破す
        ⑧正定  -|
        ①正見  -|ーーー➅般若    愚痴を破す
        ②正思すいー|
      観心や六波羅蜜は無明惑と対治し乗り越える方法が提示されていない
      慈悲のエネルギーがひきだした仏の力で乗り越えた仏性も次なる
      無明で曇らせてしまう。
       六道ー>二乗ー>菩薩ー>菩薩の力を支える仏界との融合ー>
       日蓮大聖人の仏法が必要になる
     5.5根本流からの調整
                 「此の経を受持し奉る心地は如説修行の如くなり、此の如くの心地に
      妙法等の五字を受持し奉り南無妙法蓮華経と唱え奉ればただちに無明
      煩悩の病は悉く去って妙覚極果の 中略 己心の仏を礼す」
      「修行おば6識にせよ」。。。最も苦悩の多いい巷へ飛び込む行為
      をすることで煩悩即涅槃、少病少悩を現実化できる。
      人界天界を乗り越えるには菩薩のエネルギーを取り込んで主体的に 
      煩悩を発動させ変調を起こさせるのが一番の条件、さらに九識から
      の仏界のエネルギーを増大させるのが2番目の条件となる。
      私たち生命は永劫の流転を織りなす中である時は煩悩、ある時は
      生命転換へと生命環は永劫の未来と過去を包含するようになっている。
      これを常楽我浄となる。
     最後に
      中国では東洋医学と西洋医学の融合が試みられているが、仏教医学と
      仏法の融合が未来の医学として人間医学とでも名ずけられるのではな
      いでしょうか

8問.生命哲学入門とは
    1。心身と心の相関について
     1.1科学と仏法  
       生命論を科学と仏法の2つを柱として成り立っている。
     1.2大脳生理学の知見
       新しい脳系、前頭葉 ー>創造性。。。ソフトウエア
       古い脳系、前頭葉以外ー>判断 。。。ハードウェア  
     1.3思いの領域 
       自己同一性。思い、吟味、判断を同一の自己し意識の底部に広がる
       無意識の世界を見出す。
     1.4無意識の世界
       心の構造
        I   国民            II                 III           
        A  個体          A                  A
                        B  家族            B                  B
                        C  種族            C                  C
                        D  国民            D                  D
                        E  人類             E                  E
                        F   人間の祖先   F                  F
                        G   動物の祖先  G                  G
        ----------------------------------
                                         H 中心力
                        ----------------------------------
       私の身体はまさに私という存在のものであり、それは同時に他者
       の生命にも共有されるのである。
              2.仏法に解く生の深層
      2.1五陰について
        仏法では色陰の具体的内容を私たちの体にあてはめ12処説、
        18界説などによって以下のように考察しています

       5陰、12処、18界
         |------------
       眼識、耳識      色   |   眼    十
       鼻識、舌識      声   |   耳    八
       身識、意識   法  香   意   鼻    界
               |  触   |   舌
               |  |   |   身ーー5
               |  |   |   |  根
               |  色   |   眼ーー| 十
               |  声   |   耳    二
               法  香   意   鼻    処
               |  触   |   舌
               |  |   |   身
               |  ーーーー|ーーー|
         |-----|--|---|   |
         識     行  想   受   色    5
                               陰      

     2.2 九識論 【1】5識と6識

     ①御義口伝 ②日蓮大聖人    ③深層心理     ④物質的基盤
      薬草喩品   御書
 5識 亦無限ぎ   感覚的意識     本能的欲求     新体細胞、
                               脳幹、古い脳
 6識 我無貧著   判断、推量の意識  自我、理性の働き  新しい脳、ハード
 7識 愛憎の心   未那識       理性、個人的無意識 新しい脳、ソフト
 8識 無有彼此  阿頼耶識、無意識の心 集合的無意識    物理的宇宙
 9識 我観一切普観平等 阿摩羅識    宇宙意識      物理的宇宙  

              2.3 九識論 【2】7識 末那識
      7識の根拠は愛と憎、創造と破壊を揺れ動く、よって7識を根拠とする
      のではなく、それをも止揚し破壊への傾向性を止める方途を模索しな
      ければなりません
     2.4 九識論 【3】8識 阿頼耶識
      7識をもつきぬけた生命の流れをみだした。天親は「恒に転ずること爆流
      のごとし」と無始以来流れ来たり永劫の未来をさして流れゆく生命の根本
      流をいう。阿頼耶識には5、6,7識の現勢的な識は生命の種子として
      阿頼耶識にの中に死とともにひいていく。そして生とともに蘇る。
      この種子には情報、要素が詰まっている、心身ともに入っている、
      ユングの集合の無意識として8識を完全に把握はできていません。
     2.5空としての宇宙生命 9識とは
      9識は現代では宇宙生命とも表現できましょう。8識に時間空間が9識には
      時間空間はなく泉の如く生み出すものです。
                  竜樹は空性といい、天台が一念といい無量義経で其の身、日蓮大聖人は
      南妙法蓮華経と説く。
    この実相とはすべての生命がそこから生まれ
      すべての生命が合唱している戸田先生が体験した
    ものである
   3.色心不二論を巡って
     3.1色法と心法の概念
      6根における色法と識の心法が1体化している、脳は色、現れるのは
      心である。
     3.2色心の重層性
      1-6識 。。。時空をつかさどる              顕在意識
      7識   。。。夢のように混とんとして論理、時空がばらばら 無意識
      8識  。。。完全に時空とは呼べず、流れとしか言えず    無意識
      我はユングは6,7識といいますが、仏法では9識に重心があるといって
      います、しかも生命全体に及んでいるという。また、九識の海は時空、
      形はなく泉そのものである。
     3.3宇宙生命からの展開
      「帰とは我らが色法なり、命は我らが心法なり色心不二を一極と云う
       なり」。。。①心法、生物系、命、発動、 エントロピー増大
             ②色法、細胞、帰、還元。。。エントロピー減少
             ③一極、宇宙生命自体
       色心不二は発動、還元と下図のように脈動している

        。。        。。 エントロピー増大①心法 発現個別化
       。  。      。  。 エントロピー減少②色法 還元 
       -------------------------
           。   。     。  エントロピー増大 ①心法 発現
            。 。       。。エントロピー減少 ②色法 還元

      ロボット、技術はエントロピー増大、発現
      生命は色心不二でありこの発現個別化と還元集約化が統一化し、
      連続と不連続が統合、包括化している。上記エントロピー増大、減少
      でs1=s2となっている
      生命エネルギーの展開1
       8,9識 7識 6識 5識  身識  細胞識 ーーー  心
            大脳 大脳
            皮質 皮質
            hd sw 古い脳 多細胞 単細胞 ーーー  色
      生命エネルギーの展開2
       ①物質エネルギー系
                      色
        -------------ーーー
                      心  8識、9識

       ②単細胞
             ー        色
        ----- ---ーーーーー---
            細胞識       心  8識、9識

       ③多細胞
                ーー    色
             -ーー  ーーー
        -----        ---ーーーーー---
            細胞識 身識    心  8識、9識
 
       ④脳幹、古い脳の系
                  --
                ーー  ーー    色
             -ーー      ーーー
        -----            ---ーーーーー---
            細胞識 身識 5識     心  8識、9識

       ⑤大脳皮質、ハードウエア
                    ー--
                  --   --
                ーー       ーー   色
             -ーー           ーーー
        -----                 ーー---
            細胞識 身識 5識 6識       心 8、9識

       ➅大脳皮質、ソフトウエア
                        --
                    ー-    --
                  --        --
                ーー            ー   色
             -ーー               ー
        -----                   -
            細胞識 身識 5識 6識 7識      心 8、9識
       各段階の生命体は色心不二の存在ですが、内容は全く違います。
       この宇宙生命からの創造物は、発現と還元を繰り返しフィードバック
       により生命的存在を作り出している、5、6、7識を開くということは
       創造を意味するでしょう。
4.生命的時空から見た十界論
  十界とは生命時間に関係し、生命実感である
  4.14悪趣の境涯
  4.15人天界
    以上6道においては6道輪廻といわれるように、展開へ行くと傲慢になり地獄へ
    落ちる、地球は6道の環境、自己中心的環境であり、4聖はそこからの
    創造です。このままですと地球は破壊の道に行くでしょう
  4.16声聞,えんかく界
   声聞,えんかく界の知恵による精神的喜びである。しかし、利己主義になり、
   人類を破壊に導く
  4.17菩薩、仏界
   人のことを救っている状態、自己中心的自己を排す我である。
   菩薩の行動をとって宇宙生命と合致しているのが
  仏界だ、これは全宇宙の痛みを全身に受け、歓喜が
  最大となった状態だ。是を我々は目指すのだ。
   結論 何の努力もしないで4聖を基底とする生命は少ない。特に
      菩薩、仏界へ変革していくかが仏法の結論である、人類の
      求められるのはこういう菩薩、仏界へ変革していく人間群像の輩出で
      ある
5、科学と仏法における因果律
  5.1物理と生理の因果
   生物学的因果がある。生物と無生物とは違う、生物は相補性、目的論、全体性
   があり、因果的偶然と目的的偶然があり、これを生物学的因果と表現
   する
  5.2心理の世界の法則
   物理学的因果ーーー>|
   心理的因果ーーーー>|ーーー>科学的因果とまとめる
   生物学的因果ーーー>|
   さらに釈迦仏法の因果、日蓮大聖人の仏法における因果と次元がことなる
  5。3業の思想
   業には悪業、悪い行い、善業、悪い行いがある、これは悪いことをすれば
   罰が当たる、罪が帰せられる、仏法では3世まで考慮する。また、思うだけでも
   其れが原因となって罪を犯すことがある。それが以下である。
   身口意の3業
    業 思ーーー意業ー心,無表業
      思の所作 ー口業 -ー色表業
                 心無表業
            身業 --色表業
                 心無表業
   原因結果の因果は身口意の3業によって7識にたまって縁によって結果が現れる
   しかし、天台はさらに10如是、1念3千と環境まで考慮する
  5.4十界互具と十如是の関係
   10界のいずれかに境涯はありそして空に10界は冥伏している
   地獄ー刺激ー十如是に連動 相ー性ー体ー力ー作ー因ー縁ー果—報の
   順序に働く
   因果は1舜の生命では因果具時であり因果が因となり報として働く
   生命への刻印は時間的プロセスがある
  5.5因果を翻訳する
    科学の因果ー>物理的因果、生理的因果、心理的因果ー>翻訳ー>仏法的因果
6.仏法と人間革命
  6.1仏の10号
   人間の求めるところ思想、哲学、学問、宗教の最終帰着地である。
   また、それは仏の10号の性質がある。
   ①仏陀・・・宇宙と生命の根本原理を悟り極めている智慧身をあらわす。
   ②如来・・・如如としてくる、瞬間瞬間が生命活動が宇宙森羅の本源と合致し
         ていることをあらわす。 
   ③正偏知。。。仏の智慧は正しくすべての衆生に行き渡る
   ④調御丈夫。。大丈夫の力をもってすべての衆生を調伏制御して仏道を成じさす
   ⑤善逝。。よく煩悩をを断じて善く仏の境地に達する
   ➅明行足。。過去、現在、未来をもとおし、善行をしゅうして満足している
   ⑦世間解。。世間と出世間にわたり解する
   ⑧天人師。。天人と人の師匠である
   ➈応供。。人天から供養を受ける資格がある
   ⑩世尊。。世界でも最も尊い人
 7.3菩薩に備わる徳性
    4菩薩の4徳
     常楽我浄
     上行  。。我をあらわし仏の生命を体得しつつ現実社会にあらわす
     無辺行 。。常をあらわし人生の目的に勇気をもって挑む
     浄行  。。浄をあらわし生命の清浄を意味する
     安立行 。。楽を表し人間らしい慈悲と連帯をめざし
    以上人間革命をめざす理想像です。

9問.永遠の生命についてとは
  1.現代人は死をどのようにみているか
  1.1人はなぜ死ぬのか
   仏教では諸行無常とあり、すべてのものは変化している。
   また死ななければ生命がよどんでしまい、宇宙自体の死となる。
  1.2脳死によって変化した生と死の在り方
   心の在り方や知恵で死への恐れを別の感情に転化できるのでは
  1.3薄くなってしまった死への想像力
   現代は昔に比べ人間の死と生の心のバランス崩れやすくなっている。
  1.4 人生の転機は死の意識
   人生で死を意識するのは胎児のとき、肉親がなくなった時と自分の死という
   具合にその時から人生を乗り越える力が芽生えているようである。
  1.5死はユートピアか
   死なないとすると、人は努力しなくなるのでは、エゴイズムが増大するのでは
   また、進化しなくなるので生物上の大問題となるでしょう
  1.6死を獲得したという考え
   人の細胞は細胞分裂をし新しい細胞と古い細胞を入れ替え、それが衰え死に
   至る。単細胞はこれがないから成長がない。生命体は死を手に入れたのである。
  1.7科学から見た死
   現在、死の定義は脳死か心臓死かあいまいであったが脳死を基準に考え、
   脳死での臓器提供が可能となった。意義深いものだ。
  1.8心と脳の関係  
   脳が故障したから心も故障するか、脳が故障しても元に戻ることがある。
   いったいなぜか。脳がすべてでではなく、体とトータルであるからである。
  1.9世界の宗教の死のとらえ方
   宗教にユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教があります。
   死んで無になると考える宗教はなく、無神論者でも究極は祈っています。
   つまり皆死んだら身になるとは考えていないことになります。
  1.11人の心と体はつながっている
   人の感情により胃が痛くなったり誰もするものです。これは人の内面の深層心
   理につながっていると考えられます
 1章のまとめ
  人の死や感情などは科学では割り切れるものではない。仏典では釈尊は生老病死
  の問題を解決するため法を説きました。

 2章仏教は人間の生死をどうとらえているか
  2.1 人生は苦であるという仏教の教え
   仏教はすべての人がどうしても逃れられない苦から解放しようということに
   他ならない、それには四苦八苦、生老病死がある 
  2.2 死ぬのはいつも自分でない誰か
   トルストイの「イワン、イリッチの死」という本がある、人の死について
   自分の優越感を見事に描写した書である。人の死や健康,老化は、他人事では
   驕りを感じ、優越感に浸るが、いずれ自分がそれに遭遇すると絶望感を感
   じる、釈迦は3つのおごりとして、健康,老化、死に対する驕りを上げ
   避難している。自分も人の痛みに寄り添うことが大事である。そうしないと
   いずれ自分もそうなり大きな打撃となる。ことを戒めている。
 2.3死に向かう孤独と受容の心理状況
   トルストイの「イワン、イリッチの死」の中でイワンは病に向かい死に
   対して無抵抗な自分に、今までの名声などは意味ないものと知る、人間に
   とって一番悲しいこと、苦しみでしょう。
 2.4 死への5段階説
   キューブラー、ロス博士は死に至るには5段階の順で死を準備すると
   いわれています。
   それは否認、怒り、取引、抑うつ、受容だといいます。人は死ぬ2日ぐらい前
   みな穏やかに受容するのだそうです。
 2.5死は生への別れの時と決めて岸本英夫さんの生き方
   仏法でいう臨終正念、生きている間精いっぱい生きることである。悔いのない
   生き方をすることである。
 2.6生きることがつらい人たち、楽しい人たち
   今の時代20代で生きることがつらい人が急増している、高齢化時代において
   この先の閉塞感でしょう。しかし生きる苦しみいがいになんか楽しみは
   あるはずです。
 2.7老人力
   1998年ベストセラーになった「老人力」
   この本に、年を取って老化を悔やむより、気にすることがなくなりゆとり
   ができるという考え方です。確かに年を取った人ほどゆとり。逆にエネルギーが
   アップしているのではと感じる。
 2.8ブルジョ教授の健康法
   モントリオ—ル大学に生命倫理を専門とする教授がいます。教授が50歳の時、
   今まではレースに負けまいとは走ってきた50歳になって人の人生を悟り
   出会いを今までないように重要に感じてきたという。高齢化社会は大変ではあ
   りますが苦を克服する重要性、ゆとりある社会が逆に作れるのではないでし
   ょうか   
 2.9自分の病気を知ることの意味
   がんの告知など病を知ったことで鬱になり免疫を低下させてしまう人。
   また逆に死ぬまでにしておかなければならないことを使命として余命を考える人
   様々ですが、すべてに意味があるとすると後者を取るのが意味あるでしょう。
 2.10ポジティブなプロセス「死に至る7段階説」
   ①死をどうとらえるか考える
   ②死に対する新しい考えを発見する
   ③使命の確認
   ④内的喜びを感じる
   ⑤残された時間の生きる決意
   ➅決意の現実的行動
   ⑦具体的証拠が出る
   死に対する姿勢でその後の人生に雲泥の差が出る、仏法で生も歓喜、
   死も歓喜という生き方につながる。

 3章人間の死を生命の源流から見るとどうなるか
  3.1死後の世界と前世の記憶
   近年、前世について本格的に研究が進み、フロイトなどは前世療法により過去
   のストレスを除去する治療を行った。問題は今のその人が大事で、無意識の
   過去をたどっていくのである。
  3.2臨死体験に見る死の精神医学
   人は死ぬとすべての体験を回想し一度なしたことは消えないということです。
   そこで重要なのは他者への愛情と知の探究です
  3.3 魂の核と業のエネルギー
   大阪大学の岡部博士が業のエネルギーの顕在化と潜在化、そして活性化と、
   非活性化、死ぬと非活性化となるという。そしてログロフ博士はエネルギー
   保存則は物質世界、精神世界にもあるといわれている
  3.4無意識の領域に自分がある
   唯識仏教やヨーガの実践で8識論が形成され唯識仏教と同時にフロイトなどの
   深層心理が発見された。
  3.5普通の意識は5,6識
   5識は5感、6識は5識をもとにしてイメージを作る意識です、そして7識が
   無意識で自分では思っていないのに自然と怒りがこみ上げるエゴの部分です。
  3.6命の情報は8識という深層心理層で動いている
   無意識の8識我は流動的、諸行無常である、それを動いていないものと勘違い
   すると執着、驕りが生まれてくる。死ねばその流れに融合するもの、縁起です。
   こう考えると一人の人の行動がすべてを決めていくのでよい人間同士が集まれ
   ば悲惨なことも無くなるのです。
  3.7人は流れの中で生きたように死んでいく  
   人は生きているときの8識の情報を受け継いで死にまた生まれてくる。
   余ってどのように生きた我が重要である。
  3.8人間の生き方を示す「十界論」
   6道輪廻は環境の変化にえいきょうされない、人生を楽しく過ごすか
   考えるべきである。
  3.9良い境涯とは何か
   菩薩、縁覚、声聞はよいエネルギ―、4悪趣は悪いエネルギーとなる
  3.10九識とは宇宙エネルギーそのもの
   九識阿摩羅識とは8識さえも包括する深層です、万物を生み出す、根源です。
  3.11人が本当に自由になる時
   人のことおも考えるところに新たな交流が生まれ絶えず何かが生み出されて
   くる。菩薩のエネルギーである。
  3.12楽観主義,挑戦の人生
   セリグマン博士は楽観主義の人は長寿で、年を取ると自分のことより人のこ
   とにかかわる菩薩の行動こそ、希望を持ち、善業のエネルギーが充満し、
   悲観主義の人は悪業が蓄積される。
  3.13自己実現は生命を整えるところから始まる
   菩薩的人間によりseimeihakyoukasar得ることで自己実現が実現できる。
9の永遠の生命の完結 
  3.14生も歓喜、死も歓喜
   生きて苦しみを乗り越えるも歓喜、死んでも歓喜

10.生命は永遠か
 1.生老病死を超えて
  1.1仏教発祥の意義
    人間の苦しみ、生老病死、プラス8苦です、この苦しみから逃れるために
    仏教は生まれたのです。      
  1.2 5陰盛苦と無明
    5おんとは心身、心身から出てくる苦しみ、無明、愚痴です。
    これはまた8識、阿頼耶識から発生し、この元本の無明を破る方法
    としてご本尊を確立、自行化他行で仏の力は出てくるのである。
  1.3無作の3身の顕現
    無作の3身とは応身、生命力、報身、知恵、法身、不動の境涯をいう。
    日蓮仏法において自行化他の題目を上げ、これを顕現していくことである
 2.永遠の生命を求めて
  2.1ログロフ博士の変化
   マルクス、レーニン主義では生命についての議論がなく、死んだら無になる
   というものであった、ログロフ博士もそうであったが、池田先生と出会って
   から一変した、業の本質を見事に理解されるようになったからだ。
  2.2業とエネルギーの法則
   死ぬと物理的エネルギーは量子となって拡散し、しかし心のエネルギーは残る
   業は永遠に存在すると仏典で説いている。業は保存されるのである。
  2.3死後の生命を考える
   死後はどうなるか、仏教、キリスト教、エジプト、ギリシャなど
   それぞれ死後の審判が存在する、死んだら何もなくなると考える宗教はなさ
   そうである、また、いずれも似たようなことを言っている。
  2.4臨死体験の持つ意味
   生涯回想の体験は事実である。
  2.5人間変革の道
   「倶舎論」によれば生命は4有を巡るとあります。
     生有。。。入胎の瞬間
     本有。。。入胎から死に至るまで
     死有。。。死の瞬間
     中有。。。死後、次の誕生まで
   そして業によって死後の生命は決まるとのことです
 3.仏教における看護
  3.1仏典における看護観
   釈尊が看護をどのように考えていたかについて話していきます。
   勝まん経に勝まん夫人という釈尊の弟子が釈尊に代わって法を説いたことで
   有名です、その中で4摂事という菩薩の基本を説きました。
   愛語。。思いやる言葉
   布施。。他者を助ける
   利行。。利益を与える
   同事。。一緒になって共同で働く
  3.2仏教看護の精神
   原始仏教、阿含経に看護の心で病気を治し、仏法を教えるということを釈尊自
   身が行っています。看護で病気が癒され、法に目覚めるということです。
  3.3医戒と病人戒
   竜樹の大智度論などに薬を服するということは病を除くを主とし、
   貴賤大小をたくばざるがごとし、生命を施す看護をし、見捨てたり、
   利徳のために看護すべきでなとか理想像が描かれている。
4.阿頼耶識縁起と願兼於業
  阿頼耶識の業は悪道では善業はすぐ悪業により帳消しになる。菩薩、仏界
  を強化するには日蓮大聖人の残したご本尊により仏界を顕現して阿頼耶識
  の業を消すしかない、それには願兼於業という煩悩の充満する悪世
  に生まれ煩悩を善業に転ずるしかないのである

5.生も歓喜、死も歓喜の死生観
  3.1トルストイの死生観
   トルストイの著書「イワンイリイッチの死」より、このなかで、釈尊の若い
   ころの反省で3つのおごりということがある、それは若さ、健康、生のおご
   りです。イワンは病気で死ぬことになり、死の恐怖で周りの人に迷惑を
   かけるが、臨死状況になって光を見ることになる、そこで、自分は周り
   の人に迷惑をかけ、周りの人がかわいそうになると同時に死の恐怖が消え、
   死の代わりに光が見え、何とも言えない喜びがわいてきたのだ。
  3.2ロス博士の死に至るまでの五段階説
   ①否認 自分が死に至る病でないと拒絶
   ②怒り 自分がなぜ死ななければいけないかの怒り
   ③取引 神との取引
   ④こううつ どうしようもないことで鬱状態になる
   ⑤受容 死を受け入れる心の段階
  3.3すべての流れの中で
   私は宇宙という無限の流れ中の一つです。
   生きたように死んでいくならばこの世でどう生きるかが重要です。
  3.4人間の生き方を示す10界論
   生命は10界の境涯どれかの生命状態になっています
    地獄界。。苦悩の状態
    餓鬼界。。欲求が満たされず、貪りの状態
    畜生界。。良心を失っている状態
    修羅界。。争いを起こしている状態
    人界。。良心が働いている状態
    天界。。喜びの状態
    声聞界。。真理を探求している状態
    縁覚界。。悟りを得る状態
    菩薩界。。他人のために尽くしている状態
    仏界。。森羅万象、究極の法に目覚めた状態
  3.5良い境涯とは何か
    声聞界、縁覚界は精神的充実した境涯です。芸術や創造などに取り組んで
    いる世界ですがともすると自分だけのエゴの世界ともなりうる世界です。
    菩薩界は人のために尽くす世界であり自己の阿頼耶識のエネルギーが
    その善業により強化される世界です
      3.6九識とは生命エネルギーそのもの
    九識とは宇宙森羅万象すべてを生み出す根源です
      3.7人が本当に自由になる時
    菩薩の心は自己実現には他者へのお宮利が必要不可欠であり、
    それが、9識のエネルギーになるのです。
  3.8楽観主義で挑戦の人生
    楽観主義の人は幸福は持続すると考える、菩薩的命の人は希望を持ち
    続けることができる人生です。
  3.9自己実現は生命のリズムを整えるところから始まる
    大乗仏教の法華経の南無妙法蓮華経のリズムはとても明るく生命のリズム
    を整えてくれます。こうして菩薩的人格が形成され自己実現が現実化さ
    れるのです。
  3.10生も歓喜死も歓喜の本当の意味を考える
    生は衆生所遊楽と仏典にある。また死も日蓮は「あら面白や」と希望と
    歓喜の中に迎えられるという。 「生も歓喜死も歓喜」は生きていく最
    も大切な基本です。 

11問。仏教とは
 Ⅰ.仏典の結集
   第1章 結集の背景
    釈尊の入滅以降扱う
    第1回の結集は釈尊入滅その年、迦葉、阿難、うばりなど500人
    の比丘である。
    阿難は多聞第1といわれ如是我聞とすべての釈尊の教えを記憶していた。
    阿難が絶えず釈尊に随行させていたのは依法不依人の原理の意図があったか
    らです。依法不依人」の原理とは人によらず法により道を実践し
    なさいといういう意味である。
    「如是我聞」は経典の冒頭に必ず出てくる文ですが、書くの如くを我聞き
    という意味で阿難がすべてを記憶していたということです。
    「令法久住」という言葉がある。法をして久しく住せしめんという意味で、
    法をよりどころとして教団を分裂させないため釈尊は舎利弗に命じて教義を
    集成するようにさせていたようである。ちなみにジャイナ教はそれがないため
    分裂してしまった。
    卓越した指導者は「令法久住」を強く持っている
        第2章 仏説を合掌した弟子たち
    阿難や舎利弗の記憶がすごいというのではなく仏説を全身で受け止めていた
    のでしょう。よって、阿難が法を話すと弟子たちは感動して身を伏せた
    という
   第3章 偉大な宗教差の教え
    釈尊の残した経文を仏と同じ境涯に立つ覚悟でなければ現在まで残ること
    はない
 Ⅱ.上座部と大衆部
   第1章 第2結集の背景
     すでに釈尊在中の弟子はなくなり、100年後、釈尊の遺訓などに
     異見がでてくる。また僧侶の特権意識から戒律主義に堕ちってくる。
     その点、今の話のバイシャリーという都市は戒律主義の中から殻を
     破る民主的な革新運動が巻き起こってきた。
     戒律に縛られた状況において随方毘尼という仏法の原理より
     習慣、風俗に寛容にすることである。
   第2章 原点に返る運動
     在家と僧侶の修業は微妙に違ってくる。しかし大事なのはそれによって
     人間としての生き方を全うできるかである。
     出家の僧たちは何のために修行をするか意義を見失っていた、
     生老病死の大衆の苦悩を救うことであることを忘れてしまっていたのだ。
Ⅲ。アショーカ王
   第1章最も偉大な王
    紀元前3世紀インドにはアショーカ王が誕生し仏教が興隆した。
    アショーカ王の過去世徳勝童子の時、砂の餅を釈尊に供養することによって
    大王となられ、平和な政治を行われ、一切の動物の殺傷を禁じた。
    アショーカ王も法による政治を行う前は殺戮の歴史を垣間見ている、その反
    省により法に帰依して平和政治を築いたのだ。
   第2章政治と宗教の関係
    政教一致はキリスト教徒国家権力から出た。信教の自由を守るため団結し
    て政治介入を阻止すべきです。そしてあまりにも多く仏教僧が増加し
    仏滅後236年に首都パータリプトラにおいて第3結集がおこなわれ教法
    の整備が行われた。
Ⅳミリンダ王
   第1章ギリシャ世界の哲人王
     仏教はアショカ王の時は西方社会に一方的に伝わった。アショカ王の死後
     西北インドはギリシャの王が支配することになった。その中でミリンダ王は
     ギリシャの学問に加えインドの学問を学び取った。
     対話を重んじ西洋東洋の思想を積極的に取り入れた。
   第2章ナーガセーナの知恵
     ミリンダ王は当時のインドでの最も知恵のある舎利弗といわれる
     ナーガセーナ比丘と対論する。ギリシャの認識の偏頗さを突く
     対話が行われたといわれる。
   第3章賢者の論と尊者の論
     言論の自由のような民主主義の理念はヨーロッパで確立されたが
     インドにおいて仏教により促進された。そしてミリンダ王はナーガセーナ
     の仏法で折伏され出家し阿羅漢となった。
Ⅴ東西文化の交流
   第1章東と西の転換期
     仏滅後500年後インドを出てた文化圏に影響し始める
     正法1千年が日本の説である。この時代、小乗教はすたり大乗経
     が広まってくる。これにより中国、日本へさらに西方へと伝えられるよう
     になったと思われる
   第2章仏教とキリスト教
     堀堅士の「イエスと浄飯王」でキリスト教と仏教を比較しキリスト教は
     仏教の大乗経の1派と結論ずけている
Ⅵ大乗仏教の興起
   第1章大乗仏教の興起の要因
     仏滅後500年の大乗仏教興起は小乗教が僧侶中心、中国日本の現実主義
     者には向いていない、インド各地において大乗教徒の宗教改革に
     よっておこる。小乗教は阿羅漢を目指し、大乗教徒は民衆救済の菩薩
     として立ち上がるのであった、しかし、その後僧侶として馬鳴、竜樹、天親
     など小乗教をこえ大乗教徒が出現する、また、各地に仏塔も立てられそこ
     から大乗教団が形成されたようです。
   第2章小乗教と大乗教の違い
     小乗教は8正道、4締の修業で阿羅漢を目指す、声聞思想であった。
     大乗教は布施業を中心とした6波羅蜜、といっても自他行、折伏である。
     修行すればだれでも仏になれるというものである。
     また、小乗教、小さい乗り物、自分だけの修業、大乗教は大きい乗り物
     他者も救い自らこの娑婆へ救いに来たとする。また大智度論には大願と
     不動の決意と勇猛精進の3条件がそろって大乗の菩薩といわれる。
     2乗は受動的菩薩は能動、自律的です。
     また、依義判文、釈尊の本来の精神に立ち返って経文を解釈するとい
     うことである。これがあらゆる学問、思想の正しい行き方である。
     結局、小乗教、出家僧侶しか理解できない仏教を閉じたものにした。
   第3章仏教のルネサンス
     大乗経は民衆にわかりやすい表現が多いい、しかし日本に入ってきて 
     漢文をそのまま読む。日本語に略された比喩でない。各地域で合致した
     表現に略されるべきである、今後に期待する。仏滅後500年の大乗興起
     は仏教が中国から日本に入る重要な布石となった、仏教のルネッサンス
     といって過言でない。
Ⅶ維摩詰と在家菩薩
    第1章維摩経
     大乗経在家に維摩詰という在家菩薩がいた、小乗経の声聞たちと違い
     出家中心主義を批判し仏法を社会に開こうとした大乗経徒の精神が
     脈打っている。維摩経は法華経に次いで読まれていた。僧侶中心
     の原始仏教に対して全く想像もつかない仏法の実践者であるといえる。
     哲理は僧侶に弘教は在家に釈尊は修行法を平等に差別なく与えたの
     でしょう。
    第2章仏国土の建設
     維摩詰諸説経三巻の流れに沿って説維摩詰の人となりを見ていく。    
     説法はアームラバリー樹園となっている。アームラバリー樹園は
     アームラバリーという女性信者で、ここを寄進され釈尊はこの広大な林園
     にいた。また法を求める1念の姿勢が大事である。
     仏国土は清浄なものでなくとも、仏国土は衆生を利益しようとする
     実践精神の中にすでに現出している。
     維摩経では終始2乗作仏出の段階で止まっている。
    第3章菩薩の利他の実践
     2乗は自分だけの修業の完成を追求、大乗の菩薩ハリタの実践で仏にな
     ろうとする。また2乗は自分自身のため、菩薩は自分と衆生のため仏国土を
     建設しようとする崇高な使命がある。
    第4章不思議の法門
     維摩詰という人物は不思議な人物で、利他の実践は示唆に富んでいる。
Ⅷ法華経の成立
    第1章霊鷲山の説法
     法華経は後生の大乗信徒による創作ではない。注釈書が一番多いい
     所から最高の経典である。
     釈尊は経典によって違いがあるのはどうしてか、それは、隨縁真如の智、
     調機調養して全員が物価を得れるように慎重な配慮をしている。
     そしてすべての弟子が成仏の綬記を受けるのだった。
    第2章声聞弟子と大乗菩薩
Ⅸ法華経の精神
    第1章法華経の実践者
     法華経に至るには仏の悟りの境地に行かないとその真実を語るこ
     とはできない、文学者が法華経に挑んでも文学的方法論で追及
     することは誤りである
     何故、大乗教は遅れて広めたのか、これは教法流布の先後ということ、
     声聞縁覚といってもそれは1つの生命の中に働きととらえることができる。
     法華経は三世にわたる生命の法則を説ききったものである、
     釈尊は自分自身、人々すべてに悟りを開くこと、法華経以外にない
     もし、法華経を説かなっかったならば釈尊の人生は失敗だったといわ
     ざるおえない
    第3章滅後の弘教と展開
     在家と出家は修行の仕方は違くとも弘教を目指す点で一緒なので
     仲良くやらなければならないが、ここで問題が起き仏教は衰微す
     ることになる。釈尊滅後100年在家、送料と2分された、釈尊はそのことを
     予見して、もはや声聞や迹家の菩薩ではなく本化の菩薩に託したのである。
     法華経においてもそれを実践する人が大事です。受持、読誦,解説、書写
     の受持の根底に信があり一番大事です
     法華経が第1なのは弟子たちが身をもって読んだ証です
    第4章大乗教徒の精神
     法華経は大乗教徒が釈迦滅後作ったものという考えがあります
     が、そうではなく釈尊が法華経を説かなかったならばすべての衆生
     を仏とする目的を果たせなかった円教にならなかったということに
     なってしまう。小乗教も釈尊の部分観で真実はふくまれている
     大乗教徒たちはみずからの心の中に仏を見出し確信に立って復興
     運動を巻き起こした。
    第6章法華経の仏身観
     法華経が蓮の花が泥沼から出て花を咲かせるように民衆の中に法華
     経を体現させたのであった
Ⅹ竜樹と世親
    第1節大乗仏教を求めて
     仏滅後700年ごろ竜樹誕生、偉大な宗教者として、実践者として評価さ
     れている。竜樹の一生は求道の人生そのものだった。また、仏滅後70
     0年のころは小乗教、大乗経に行きつくには小乗教からの道しかなか
     ったのでしょう。その後竜樹は大乗教、法華経に到達し広めるのだが、
     竜樹が若しいなければ法華経は登場できなかったでしょう。
    第2節中道と空の論理
     竜樹の説く「空」観のうらずけとして、釈尊の縁起がある。空とは火
     と薪の関係です。空も縁起も試作しぬいて到達した理論である。
     竜樹は「縁起であるものを我々は即ち空と説く、その空は相対的な仮説
     である、これが実に中道である」
     有無の2道を否定したうえで能と所の相依相待するところが空であり中道
     である不二であると説くのである。
    第3節無著と世親
     その後、当時のバラモンが精神の充実を目指して仏法に続々と帰依し
     ていった。無著と世親の兄弟が有名である。
     バラモン家の優秀な3兄弟がそろって仏教に帰依したということは
     仏教のほうが優れていることを証明しているようですね。小乗教のアビダ
     ルマ教学をやっぶったことは血のにじむような大変さがあったと
     思われます。仏教の歴史は不思議なことがいっぱい書かれていますが、
     実践を通して得る以外仏法の神髄を理解できないということです。
     こうして世親は千部の論旨といわれ、大乗の2大潮流となった。
     世親の著作は「倶舎論」をはじめ膨大にある。倶舎論は有部の学説
     過去現在未来において実態が存在するという三世実有説を如如と来る
     現在のみに存在があるとする75法を再構成する仏法の基本概念を理解する
     必須の教科書となった。また仏教は学問体系として学ぶのが目的でない。
     民衆救済が目的である。しかし批判に耐えるものとして体系
     化することが要請されたのである。
     世親はまず唯識20論で外界の実在を否定し空とする、外界は識
     によって実在するかのように見えるというわけである、さらに阿頼耶識
     を表し、一切の経験事象は阿頼耶識の生命の基底部に種子
     として蓄えられ、薫発されると説く。デカルトも精神の中に種子という
     もの発見している、東洋西洋とも同じ意識層を解明しようと現代の科学
     は研究が重ねられているようだ。

12問釈尊とは
Ⅰ.釈尊の青春
   1.釈尊についての資料はある。馬鳴のブッタ、チャリタなどいくつかある。
   ②.釈迦族について
     釈迦は今のネパールで生まれた、農耕社会だった。 16大国が競い合って
     いた。そういう中で釈迦に大きな期待がかけられていた。
   3.釈迦の父母
     父は浄飯王、母は摩耶といわれ、釈迦が生まれてすぐなくなった
     といわれている。肉親の死によって全生命の痛みを呼び覚ますこと
     は十分考えられる。
   4.釈尊の青年期
     釈尊は32相40種好といわれるがバラモンの言葉を持ちいていったもので
     実際にはそうでない。しかし、文武両道に育てられたので立派な容貌で
     あったでしょう。王は釈迦に16歳で結婚させたが、生老病死の苦悩のため
     ラゴラという子をもうけて王位を継がせ出家したのではないだろうか。
   5.釈尊の青春
     釈尊は19歳で出家し30歳で成道したといわれるが、そのきっかけは
     生老病死の問題に悩んだということもあるが、当時の弱小国の王子
     として、武力を取るか出家を取るかにおいて後者を取ったと
     いわれる。 出家といってもこの時代は今でいう現実逃避
     的な意味はなく真実を知るための当然の行為であったと思われる。 
     釈尊の出家は世間からの遊離したものでなく、独自の思想立場から
     社会を変革しようという意識からのものであった。 
     当時のバラモン階級は7.8才で師匠についてバラモンを学ぶ期間です。
     12年くらい学んでそして結婚家族を養育する気です。50歳くらいで
     静かな林に入り自己の思想を完成させる。この修行を終えると各地
     を托鉢に回った。独自の主体性があった。
    4.出家の旅
     父浄飯王は釈迦の出家を予知していたようである。出家において剃髪
     托鉢を行った。托鉢は出家者に食を与えることによって善根を積ませた
     のである。ですから出家者は堂々と歩いていたらしい。
     また、宗教者に対する畏敬の念の底には法というものを大事にしようと
     いう思想があったとみてよい。
            5.6師外道
     外道とは仏法から見て他の立場に立つということである。
     思想というもの、偉大な哲学宗教が生まれる背景には共通したものがある。
     現代も釈迦の時代も同じである。
Ⅱ釈尊の修業課程
    1.ビンビサーラとの会見
      ビンビサーラ王は釈迦が托鉢をしている際、目を付けたが釈迦は
      受け入れず、修行に励み、のち、ビンビサーラ王は釈迦に帰依す
      る。のち息子のアジャセに殺害される。
    2.バラモンの2仙人
      釈迦は2仙人に師事するがそれは法をつかむための修業であって
      それ自体が目的となってしまっていると実感し禅定をすてて去る。
    3.苦行との対決
      釈迦は禅定、苦行とも徹底して行ったが自分の求めている悟りは
      開けなかった。
    4.苦行の放棄とその意味
      釈迦は強い自負と信念により周囲の誹謗をものともせず苦行を捨て
      大悟の道へと歩み寄ろとしたのです。
Ⅲ釈尊の成道
    1.降魔について
      魔とは外にあるものではない。心の中にあるものであることを悟る。
      病気、恐怖、睡眠、強情、軽蔑、嫌悪、愛欲、飢渇、がそれである。
      釈迦に悪魔が出現されたのではなく、己心に感ぜられたのだ。つまり
      己心に魔が存在することを見破ったことで魔の正体を打ち砕いたのだ。
    2.悟りとは何か
      これは感応することである。釈尊は仏界に感応したのでしょう。
      ニュートンは縁覚に感応、キリストは菩薩に感応したのでしょう。
      「仏界ばかりは現じ難し」仏界は大宇宙の本源生命他の悟りは部分
      的真理で本源的法ではないので自分自身の不幸、宿命を転換できない
      のである。
      釈迦は難行苦行,魔との戦いにより無上の仏の覚知得た。一体この覚知
      した本質とは何だったのか。そして、三世を覚知したのである。
      元本の無明が滅び明知がわいてきたのである。
      次に釈尊の第2の明知、業に従って3世は繰り返されることを天眼により
      みた。
     3.縁起とは何か
      縁起とは縁起がいいとかそういう意味ではなく、すべてのもの単独
      に存在しない。何かによるのである。縁とは横のつながりだけでなく
      縦、過去未来にもつながる、ここから12因縁に行くのはいきすぎ
      でしょう。12因縁説は元本の無明があるから幸せになれないことを
      説かんがための便法で釈尊が志向していたのは全体連関、縁起の状態
      で存在死滅している実相の不思議を嘆声していると確信したい。
      釈尊は哲学者というより教育者、指導者であったととらえなければ
      ならない。
Ⅳ釈尊の教化活動

     1.民衆の中へ
      釈尊が法を広めるにあったって広めるべきか迷うところがある。
      これは釈尊が真理を求めて修行する中でおきたものでしょう。
      釈尊の悟達した喜びは釈尊しかわからない孤独があったようだが、
      その意味で医大の真理と法を発見したのみ知る胸中であったと
      いえるでしょう   
     2、初転法輪
       誘因の説法を阿含部として以前一緒に修行していた5人の比丘
       のいるところまで赴いていく。いきなり全体宗ではなく、身近なと
       ころからとは重要なことである。この阿含部の四諦の理、八正道
       は仏法に誘引するための機根に合わせた随他意の説法であった。
       そして此の初説法は初転法輪といわれる。
       これはインドの故事に倣って最高の覚者が宇宙人生の真理を説くことを
       表している。
      3.弟子の帰依
       釈尊は第1回の説法より数年で千人以上になったといわれている。
       次にヤサという裕福な青年を説法するが、当時の哲学を接点におこ
       なう。このことは後で竜樹の説法の仕方をまとめた。4悉檀がある。
       第1義悉檀、世界悉檀、対治悉檀、世界悉檀、為人悉檀がある。
       ヤサへは世界、為人悉檀的に説法したようだ。そしてサヤは次々と
       友人を教化し、50人に達したという、そして、釈尊は教化は
       1人で行きなさいと指導する。出家者は受動的でなく、能動的に
       帰依した一人一人に実践宗教として教育したといえる。
      4.ウルビイルバーでの説法
       ウルビイルバーでは舎利弗、迦葉、目連などの弟子たちをき教化
       した。ここでは貧困による信心というより心の安定によるものがここ
       では問題となり信仰に導かれている、これは釈尊の人間性から
       の輝きによるものである。
       ここで、有名なバラモンのウルビルバー、カーシャパを教化し、
       即、千人の弟子たちも帰依してしまった。これは当時、思想哲学が重
       要であったかがうかがわれる。
       その中に舎利弗いた。このことからかマガタ国のビンビサーラ王も
       帰依した。すでに釈尊は仏陀になったことを知っていたのでしょう。
Ⅴ弟子の群像
      1.シャリープトとマウドガルヤーヤナ
        マガタ国の布教では国王ビンビサーラが帰依したほか有力な弟子や
        信徒が出現します。舎利弗は比丘アッサジより釈尊の法を聞く、
        経典では「諸法は因から生ず如来はその因を説きたもう、諸法の
        滅をもまた大なる修行者はかくのごとく説きたもう」とあると
        ころです。   又比丘アッサジは釈尊の骨格である諸法の因果と
        起滅の1節をのべる。  舎利弗、目けん連が釈尊に帰依したの
        で6師外道の一人師サンジャヤ以下250人は一気に釈尊の弟子と
        なり一説にはサンジャヤは血を吐いて倒れたという。
        懐疑論、ニヒリズムの果てに仏法が受け止められた。
        そんな中で釈尊は怨嫉に対して自らの姿と態度で、また教法で
        1つ1つ打ち破り、普遍的な宗教の次元へと高めていった。
      2.マハーカーシャパ
        摩訶迦葉とは頭た第一の厳格な人で、それゆえ迫害も多かったよ
        うです。また、釈尊の教えをそのまま信奉して身分の別なく悠々と
        托鉢し、教団は彼を中心に維持されていたようだ。
        また釈尊の10大弟子はそれぞれ個性があり、特に型にはまった
        人間像を求めたのではなく、それぞれに使命にもとずいた
        個性を発揮させるようにしたのです。そして一般民衆、富豪、村長
        など続々と釈尊の弟子となっていく。
      3.スダッタ
        スダッタはコーサラ国の長者だ。のちに祇園精舎建立して
        寄進している。
      4.釈尊の生国訪問
        釈尊はマガダ国の教化を終えると生国カビラブアストを訪れたとい
        われている。仏陀となった釈尊により父浄飯王も帰依する。
        そして、もともと自尊心が強い釈迦族も悉く、釈尊の教化により
        帰依する、釈迦の弟、子,や阿難等が有名です。
      5.アーナンダ
        その後、釈尊の従弟、親族は悉く帰依する、特にアーナンダは多聞第1
        として、釈尊の教えを1番記憶にとどめたといわれている。
        そして、25年も釈尊の侍者としていた。
      6.ウパーリ、アニルッダ
        そのほか、ウパーリは理髪店
        を営む庶民であり、すべての人を平等に扱おうとした釈尊
        の配慮である。ウパーリは後、持律第一といわれた。
Ⅵ教団の拡大
      1.その他の有力な弟子 須菩提、富楼那、大迦旋延。富楼那は豪商で
        あり、説法第一といわれていた。大迦旋延は解説第一といわれ、
        釈尊の教えを詳細に立て分け、分別、識別する能力が顕著で
        あったといわれている。釈尊の十大弟子はそれぞれの特質があり、
        その人材教育法は誠に全体観に立った人間観察の上に立った卓越
        したものであった。
      ②.舎衛の3億
        舎衛の3億とは釈尊が三分の2の舎衛の人々に仏法を教化したこと
        を言う。三億とは現代の30万人ぐらいだという。シュラ―バスティー
        における対決で、生まれによってバラモンになるのではな
        く行為によってバラモンになると釈尊は答える。
        革命には必ず反革命が付きまとう、未来を確信して進むところに
        仏法者の道がある。このような主体的倫理が紀元前に
        表れていることは実に注目に値することです。釈尊がバラモンの
        カースト制度に言及しなかったのは、人間の奥底の原理を示し、
        人間としての生き方を示し、あとは社会をどう生きるかは信仰者
        にゆだねた。
        また、釈尊の教団は平等な組織を作ったところに、その具現化
        がみられる。シュラ―バスティーには凶悪なあんぐりマーラという
        バラモンを釈尊は神通力で教化した物語が有名である。広大な
        地域に仏教が広まると戒律が決められるようになった。
        しかし、釈尊は小欲知足であったけれども、極端な苦行を退け
        中庸な人生を志向した。
        釈尊の女性観はバラモンでは厳しかったが、かなり平等的になり、
        しかし、出家の際のれい愛は修行に対する妨げとしている。後半の
        大乗仏教、法華経には、女人成仏を説いて、その発想の
        素地は釈尊自身の教説に一貫してあったようだ。
       ③提婆達多の反逆
        提婆達多は最初は新進気鋭の息吹をおくっていたらしい。
        そして、提婆達多はアジャセ王の心のすきに入り込み見事に功
        を奏した。提婆は釈尊をねたみその野心が抑えられなくなったので
        しょう。提婆達多は戒律を作り、破和合僧の謀略を企て、
        教団の分裂を図った。提婆達多の命は我々の中にもあり、それを
        克服することで成仏が叶う。強固な自身の確立がなされるという
        法理を示している。
Ⅶ釈尊の入滅
      1.晩年のひじ
        釈尊御最後の遊行において2つの悲し事件がある。1つは舎利弗と
        目健蓮の死と釈迦族の滅亡である。弟子たちにはその悲しみを乗
        り越える金剛不壊の汝自身の確立であるという。釈迦族は滅ぼされ
        たことより釈尊はなお一層世間の無常を知り、弘教の旅に出ていく。
      ②.最後の旅
        釈尊80才、極めて常識人であり見識を持った人と記されている。
        そして、釈尊は自身は教団の指導者であることを否定し、自身
        も法友として遇していていたことを物語っている。この態度と姿勢
        が実は最も強い姿勢であるといえる。  そして、「この世で自
        らを頼りとして、他人を頼りとせず、そして、法を島として法を
        よりどころとして、ほかのものををよりどころとせずにあれ」
        と自帰依、法帰依の説法をする。 仏法では絶対者の存在はない。
        絶対なるものは何かと言えば、生命の方であり、自分自身のうちに
        あるものである。それを個人が自覚して引き出すかが問題である。
        法と境地冥合して、現実の自己を変革していくのである。  
      ③鍛冶工チュンダ
        チュンダという鍛冶工の下でキノコの料理の供養を受けるが
        釈尊は病にかかってしまう。しかし、チュンダを非難せず、
        阿難とともに旅に出る。
       ④入涅槃
        釈尊は非悪露の衰弱から、阿難に床を作らせ横たわり、最後の質問に
        答えた。天から沙羅双樹の花弁が降り注ぎ、生涯を閉じるにふ
        さわしいものであったに違いありません。

13問天文学と仏法の関係は何か
   ①大宇宙との語らい
     仏典の我即宇宙とは、天体を探ることは自身を探ることになる。仏典では
     在在の諸仏の土に生まれると法華経、化城喩品にある。この大宇宙に
     大哲学を掲げ、師とともに生まれ、使命を果たすという意味である。
     また生死不二の法理では生の状態は顕在化と死の状態は冥伏で生命の
     現れ方の違いだけであると説いています。
    ②天文学が宗教即発
     科学が発達するほど仏法が証明されると戸田先生はおっしゃっていた。
     1人の生命の変革は波動となって周囲を変えていく、
     環境を大きく変えることが人間革命の運動です。
    ③人間の可能性を開く天文学
     アインシュタイン博士は深く深く自然をのぞき込めばあらゆるこ
     とがもっと理解できるようになるといわれている。
     また、修羅の嫉妬から声聞、縁覚の探究、そして他者への献身
     の菩薩へと高めていくことです。天動説から地動説への転換
     はみずからの世界を認識する、天文学が人間を謙虚にする側面
     がそこにあります。
    ④宇宙探求の国際協力
     第2次世界大戦中、イギリスとドイツの戦火の中、アインシュタイン、
     ドイツとエディントン、イギリスで相対性理論は証明された、
     天文に国境はないのである。宇宙への探究は人類全体を深く広く結ぶ力
     を持っている。地球生命への安全保障へと開いてくれます。
    ⑤宇宙時代の地球に生きる
     天文学は人間に精神的進化を促している。文明にはその中心に必
     ず天文学があった。ゲーテも「十分に絶えず進歩する学問」と尊重
     していた。
    ➅天文学が可能にした鄭和
     天体の観測で暦を作ることは様々な文明で行われてきた。技術とは、
     自然法則を人間生活へ応用するもの。暦は技術発達の原点である。
     ポルトガルのエンリケ王子の航海が有名です。「臆病の岬を超えよ」と
     鼓舞したことは有名です。
    ➈宇宙に水の惑星はあるか
     生命保護区としての地球で人間革命のみ本来自分は如何なる存在である
     かを自覚させ、それにふさわしい行動を取らせることができるのである。
     自らが変われば変わらない環境はないです。一人立つことこそすべて
     の出発点である。
    ⑩宇宙を見よ、人間を知れ
     宇宙は常に変化し、サイクル、リズムがある。
    11.四劫の原理
     宇宙は空、成、住、壊劫と繰り返している。それは太陽系、銀河、銀河団と
     当てはまりますが、太陽は今が住劫です。人間の頭脳の大脳皮質だけで
     140数億の神経細胞があり、そのネットワークは10の1万条以上あり天文
     学的組み合わせです。まさに小宇宙といえるでしょう。
               また、宇宙、人間を知ることで平和調和のある世界が作れる。
         12.宇宙とは何か
     戸田先生は「宇宙生命は大慈悲の働きとして
     顕現しているその慈悲により創造性、
     エネルギーとなって進化が織りなしてきた。
     この進化に貢献するところに人類の使命が
     ある」と主張していた。自らの生命を開花
     させ、宇宙の本然の慈悲と創造力体現し世界
     をよりよくしていく人間には使命と責任がある。
       そして、この宇宙は欲界、色界,無色界で構成され、さらにそれを
       1世界とし、さらに3千大世界を構成し、仏国土を織りなすとします。
     13.教育とは
       「子供を幸福にすることである。」と牧口先生は力説していた。
               14.善を創造すること
     15.知恵と知識
      知識があっても知恵がなければ人類は幸福になれない。思いやりの心
      がないといけない。知恵を伴わない知識は人を戦争へと導く。
          知恵と知識と慈悲を兼ね備えた存在を菩薩といいます。アインシュタイ
      ン博士は学校を出たら専門家でなく調和のとれた人格になることを
      目標とせよと言っている。仏典では知恵と慈悲をもって生きるところ
      に本当の喜び、幸福があると説いています。
     16.読書
      読書はその詩的美しさや、哲学性を発見する。
     17.精神のちから
      人を大聖人は宝塔という。人間にある宝石は精神的価値の象徴です。
第14問インドと日本の関係はどうか
     ①インド思想について
      我が国は6世紀の仏教伝来以来、インドに対する関心は大きいです。
               ②インド思想の源流
      インド等は仏典では帝釈天と呼ばれ守護神と位置ずけられている。
      またデーバは天、阿修羅は修羅に十界に位置図けられれている。
      人の心には善と悪、が存在していることはユングなども言っている
      ことで、東洋の精神文化は西洋に増して説きあらわされています。
      インドの宗教思想は両極端なところがある。大乗の教えは
      禁欲と煩悩に翻弄されるこのの中道を生きることを積極的に
      生きることを説いている。
     ③古代インドの宗教と近代ヨーロッパ
      ニーチェは仏教の哲学をキリスト教と対比し思想を構築するのに
      役立てた。また、ワーグナーは仏教の影響を受け、仏教の涅槃思
      想を表現した作品が多いいです。ただしニーチェなどは厭世思想
      が受け入れられ、その後、カイゼルリンクは大乗経の菩薩像を評
      価している。
     ④ウパニシャッド哲学の発展
      インド思想は、西暦前6,5世紀にベーダ時代にみられない、
      新しいウパニシャッド哲学が発展する。ウパニシャッドはベーダ
      の聖典の集大成で宇宙の本質や生命について取り組んでいる。そして
      ギリシャの哲学は両方とも刑以上学による対話です。また、これと
      関連してドイツの哲学者カール、ヤスパースの枢軸時代という
      概念です。人間の発見ということです。現代では専門的になり
      隣の学問が見えなくなってきている。古代インドや枢軸時代の思考
      の原点をとらえなおすことは極めて有意義だと思われる。
     ⑤ブラフマンとアートマンの概念
      ブラフマンとは神的概念、アートマンとは卑小な自我、仏典では
      このブラフマンを卑小な自我アートマンに見出し、一体であること
      を説く。
     ➅人生の4段階観
      ブラフマンを自身に見出すため4段階80年の修業がバラモンにある。
      ベーダの修業、成人、森へ、托鉢である。ただ80年生きないと全うで
      きない。よって、これも均整が大事で最初の教養も一生勉強は
      必要です。第二段階の家庭や社会における義務もどこまで
      も付きまとうものでしょう。また現実社会のかかわりだけでなく人世
      とは何か、人生を客観視することも大事です。こういう生き方はすべて
      の人に共通する。ウパニシャッド哲学が大衆になかったのに対し仏法
      はあらゆる階層の人々に広まっていた。
      法華経において諸法実相、誰人も目のあたりにしている諸法を洞察し
      ている。これが釈尊の悟りです。ここで、釈尊の時を要しない法とは
      まつげや虚空を意味し、身近なところに心理を見出した、きずかせるこ
      とのみに焦点を合わせたのが釈尊で、一方ウパニシャッド哲学が真理を
      志向、仏法は知恵を開発していったのです。
     ⑦解脱観
      大乗経、法華経では煩悩を生かして最高の理想に到達できる道を
      教えてます。
     ⑧輪廻観の起源
      ピタゴラスも輪廻観を持っていた。差別感から輪廻観が生まれてきたの
      ではないか。
     ➈輪廻観
      インドとエジプトについて、エジプトでは生きることが絶対であり、
      仏教では生死を超えた涅槃を理想とした。大乗仏教では常住している生
      命を覚知する幸福状態を涅槃と呼んだ。ヒンズー教と仏教の関連性否定
      できず、大聖人はせんだらが家より出でたりに象徴されるように、
      徹底した人間尊重、民衆抑圧の否定が貫かれています。
     ⑩仏教とインド社会
      まず仏教の教えがいつ始まったかについては2次的な問題で現に生き
      ている人間の苦悩を解決する能力があるかどうかである。
      

新物理を仏法より構築した
何かご質問がある方はコメントにお願いします。

参考文献
  誰でもわかる永遠の生命 川田洋一
  生命哲学入門 川田洋一
  仏法と医学 川田洋一
  私の仏教観 池田大作
  天文学と仏法を語る 池田大作
  内なる世界 インドと日本 池田大作

1 件のコメント:

  1. コメントがないようなのでまだまだ魅力のないブログなのかと思います。はじめて
    2か月なので仕方ないと思います。このブログも完成予定は100年かかりそうです。1パーセントもできていません。私の58年間の知識と書きたいこと学びたいことは天文学的寮だと思います。なんといってもネットの世界は無限の知識がうずまいていると同時に研究対象が多いいです。病気でも無限の知恵が知識、データとしてあると思います。これからも応援よろしくお願いします。facebook,
    twitterでの応援もお願いします。2008-4-10

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